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平成助っ人賛歌

ジャック・ハウエル ヤクルト日本一に貢献し、平成球史を大きく変えた巨人移籍/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

ボヤキのノムさんも絶賛


92、93年とヤクルトのリーグ連覇に貢献したハウエル


 いったいプロ野球界に「巨人=大型補強」のイメージが定着したのはいつごろだろうか?

 丸佳浩中島裕之炭谷銀仁朗岩隈久志ビヤヌエバと2018年の止まらないストーブリーグの補強を見ていて、ふとそんなことを思った。FA制度が導入された93年オフにはさっそく40歳の落合博満(当時中日)を獲得したが、このときは80年代の主力が衰え、打線も弱体化していて、何よりまだ10代の松井秀喜が四番打者に育つまでという大義名分があった。ゴジラ松井が3度の三冠王・落合の背中を見て球界最高のバッターになってくれたら……と。いわばファンも納得しやすい理由ある補強だったのである(さらに同オフには落合に押し出されるように一塁レギュラーの駒田徳広が横浜へFA移籍している)。

 ターニングポイントは翌94年オフだろう。平成6年、あの中日との同率優勝決定戦“10.8決戦”を制し、日本シリーズでは西武を下して日本一に輝いた長嶋巨人だったが、チーム打率.258、122本塁打はともにリーグ3位。そこで打線強化のため掻き集めたのが現役バリバリのメジャー・リーガーでもあるシェーン・マック(ツインズ)、ライバルチームのヤクルトからは広沢克巳とジャック・ハウエル。投手陣も広島から川口和久をFAで獲得した。95年開幕戦のスタメンにはこの“33億円補強”メンバーがズラリと並び、生え抜き野手は岡崎郁川相昌弘、松井秀喜の3人のみ。長年チームを支えた原辰徳の名はそこになく、代わりに開幕サードに入ったのがハウエルだった。

 この男の来日は30歳を迎えた92年シーズンのことだ。代理人は自身もヤクルトでプレーして東京ドーム公式戦第1号本塁打を放っているダグ・デシンセイが務め、オープン戦では右翼起用されたハウエルだったが、メジャー時代に慣れ親しんだ本職は三塁。しかし、マスコミは人気者の長嶋一茂をサードで見たい。さあどうする野村監督? というわけだが、3月6日の日本ハム戦(神宮)でライトのハウエルは矢のようなバックホームでタッチアップの三塁ランナーを刺し、4回には右翼席へ来日初アーチをかっ飛ばしている。

 この活躍に「10人監督がいたら8、9人が使いやすい選手と言うだろうな」とボヤキのノムさんも絶賛。開幕から三塁レギュラーで起用されるも前半戦は左太ももを痛めたこともあり、打率.277、8本塁打、20打点とパッとしない成績だったが、ケリー夫人と生まれたばかりの双子の子どもが来日した後半戦は8月末までの31試合で打率.395、17本塁打、41打点と別人のように打ちまくり、8月月間MVPにも選出される。


尊敬していたボスから憎むべき敵へ


95年は巨人でプレーしたハウエル


『週刊ベースボール』92年9月14日号では名物コーナー「“パンチョ”伊東の助っ人見聞録」に絶好調ハウエルが登場。8月31日現在で25本塁打はリーグトップ、規定打席不足ながら打率.326は隠れ首位打者に立っていた。伊勢孝夫打撃コーチが「バットは少し短く軽いものを使えってサジェストしてくれた」と感謝を語る背番号44。印象に残る日本の投手には「ウーン、やっぱりマキハラだな。もちろんボールが速いのは確かだけど、あのフォークが凄いね。あれはメジャー・リーグ級だよ」と巨人の槙原寛己の名前を挙げ、日本の食事については「ライスが実に好きなんだよ。ピラフがいいね。チャーハンもよく食べるよ」なんてご機嫌に語ってみせる。

「今年のサラリーは100万ドル(約1億3000万円)だけど、優勝とタイトルなら楽しみだね」の言葉どおりに打率.331、38本塁打で二冠獲得。チームの14年ぶりのリーグ優勝の立役者となりMVPにも選出された。

 93年も日本記録を更新するシーズン5本のサヨナラアーチを放つ無類の勝負強さを見せ、15年ぶりのヤクルト日本一に貢献。遠征先には当時まだ珍しかったノート型パソコンを持参するID野球の申し子は野村克也監督に心酔し、『週刊現代』のインタビューにおいて「彼の(配球の)アドバイスはたったの一度だって外れたことはないんだぜ。まったくすごいんだ、あの監督の読みは」なんつってボスを持ち上げ、ライバル球団の巨人助っ人陣の不調について聞かれると「外国人選手が活躍できるかどうかは、監督やコーチの腕次第という面じゃないかな」と間接的に長嶋監督をディスってみせる。しかし、人生一寸先はハプニングだ。

 翌94年、ハウエルは背筋痛からスタメン落ちを申し出ることが目立ち、次第に野村監督とも険悪に。結局、夫人の病気を理由に公式戦をまだ10試合以上残した9月下旬に緊急帰国。打率.251、20本塁打、56打点と大きく成績を落とし解雇されてしまう。そして、年俸1億4500万円での巨人移籍後に受けた95年3月の週刊ベースボール直撃インタビューでは「赤の他人のノムラさんが何か(悪口を)言ったとしても、それはしょうがないんだよ」「ナガシマさんの下でプレーできるのは本当にうれしいよ! ノムラさんはナガシマさんのように、個人ノックをしてくれることなんてなかったからね(笑)」なんて笑うのである。

 尊敬していたボスから憎むべき敵へ。しかし、95年のハウエルは前半戦だけで打率.279、14本塁打とそれなりの成績を残すも、夫人との離婚調停のために7月23日の中日戦を最後に帰国し、そのまま退団。大型補強の巨人も3位に終わり、皮肉なことに広沢とハウエルが抜けたヤクルトが日本一に返り咲いた。

ハウエル獲得は巨人にとってマイナスだったのか?


 今季の中日から巨人へ移籍したアレックス・ゲレーロのケースを見ても、外国人選手にとって首脳陣との相性は生命線だ。ハウエルは「ヤクルト時代はマスコミは監督が引き受けてくれたし、選手とのコミュニケーションも良かった」と愚痴ったというが、後悔先に立たず。

 だが、点ではなく線として長い目で見たら、この男の獲得は巨人にとってもマイナスばかりではなかった。なぜなら、ポジションがかぶるハウエルの加入で出場機会が激減していた原辰徳は、この95年限りで現役引退する。仮に巨大補強がなく原の現役が1年か2年延びていたら、98年オフの野手総合コーチ就任や日本一に輝いた02年の監督就任の時期も微妙にズレていたかもしれない。となると、03年には大黒柱の松井秀喜はすでに日本球界にいなかったし、04年以降のチームはしばらく低迷期に入っており、原の監督としてのキャリアもまた違うものになっていた可能性が高いだろう。

 選手・原辰徳を終わらせた男、ジャック・ハウエル。三度目の指揮を執る原監督が大型補強に邁進する今こそ思い出したい平成助っ人選手である。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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