2019年の幕開けとともに、
鵜久森淳志(元日本ハム、ヤクルト)の第二の人生がスタートする。18年オフにヤクルトを自由契約となり、トライアウトを受けた。
「長くても1週間」
それが自分に与えた時間だった。
「1度経験しているので、それ以上待ってもないだろうと。次の道を考えないとって感じでした」
現役を引退し、ソニー生命へ就職。営業マンとして働く決断をした。
鵜久森は済美高の四番としてチーム初のセンバツ優勝、夏の甲子園準優勝に貢献。05年のドラフト8巡目で日本ハムに入団した。15年オフに戦力外通告を受けたがトライアウトを経てヤクルトに入団すると、そこでは対左投手の代打として活路を見いだし、自身最多となる46試合に出場。レギュラーをつかむべく第二の野球人生を歩み出した。しかし、18年オフに再び戦力外通告。「とにかくやりきりたい」と2度目のトライアウトを受けた。
14年間のプロ野球人生で放った安打数は111。そのうちの1本は念願の一打だった。
「日本ハム時代のビデオ判定となったプロ初本塁打や、ヤクルトでの代打逆転満塁本塁打もありますけど、やっぱり地元で打ったヒットが一番印象に残っていますね」
それが地元・愛媛の坊っちゃんスタジアムで行われた18年4月25日の
阪神戦だ。試合こそ敗れたが、9回裏に放った意地の適時打。
「地元の皆さんの前で打てたことがうれしかった」
奇しくもプロ最終年でのヒットとなってしまったが、これがプロ入り後初の地元でのヒットだった。
引退後は、プロ野球界に残るという選択肢もあっただろう。それでも、まったく違う道を歩むことでできる恩返しがあることも知った。
「今まで野球をしてきてたくさん応援してもらってきたので、これからは自分がサポートする立場になりたいな、と。そして野球界へも、外から恩返しができると思っています」
プロ野球選手になっても、全員がプロ野球界に残れるわけではない。だからこそ、自分が別の道で活躍することで、後輩たちに示す道もある。セカンドキャリアのサポートも今後は考えていきたいという。
鵜久森の歩んだ野球人生は苦しいことのほうが多かったかもしれない。だからこそ、その足取りは力強い。
「不安はありますけど、今は早く勉強したい。苦しいことがあっても絶対に乗り越えたいですね」
今後、どんな人生を歩んでいくのか。自分でも楽しみだという鵜久森の未来は、明るく輝いている。
文=阿部ちはる 写真=BBM