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パンチ佐藤の漢の背中!

中継ぎで力を発揮した近鉄最後のドライチ・香月良太/パンチ佐藤の漢の背中!「1」

 

『ベースボールマガジン』で連載している「現役を引退してから別のお仕事で頑張っている元プロ野球選手」のもとをパンチさんが訪ね、お話をうかがう連載です。今回は近鉄最後の自由枠入団選手からオリックス巨人で中継ぎとして活躍した香月良太さんがゲスト。現在は株式会社ネットワークファッション社員で旬彩処「となりのおくさん」の責任者も務める香月さんのやりがいとは――。

投げたがりで引きずる性格は、中継ぎ向き?


香月良太氏(左)、パンチ佐藤


 社会人・東芝出身の香月さん。東京ガス・内海哲也(現西武)、三菱ふそう川崎・森大輔(元横浜)と共に『社会人三羽烏』と呼ばれ、即戦力の自由獲得枠候補として、注目を集めた。

 しかし、ドラフトを控えた社会人3年目に肩を故障。その夏、東芝が4年ぶりに出場した都市対抗野球大会で初戦、ホンダ熊本戦に先発したが、まだ本調子には遠かった。3回途中でKOされ、チームも敗退。「あれは、今も心残りです」と唇を噛む。

パンチ 肩をケガして、プロ入りに不安はなかった?

香月 もちろん、ありました。社会人の2年目に活躍して、初めは8球団くらいが「1位で行きます」とあいさつしに来てくれたんです。ところが肩をケガして以降は、近鉄だけが1位で、他は「下位じゃないと指名しない」ということになりました。それで、1位で獲ってくれるなら近鉄に行こうと思いました。

パンチ 結局、肩のほうはプロに入ってからは、どうだったの。

香月 自分、投げたがりのタイプなんですけど、1年目はまったくダメでしたね。そのオフに近鉄とオリックスが合併して、仰木(彬)さんが監督になったんです。そこから使っていただけるようになりました。そのころには、もう肩もよくなっていたので。

パンチ 手術はしなかったんだ。

香月 はい、関節唇の損傷だったんですが、手術はせず、肩を休めて自然に治しました。結局、2年くらいかかりましたが。

パンチ 仰木監督になって、きっかけをもらったんだね。

香月 最初は二軍スタートだったんですが、5月に初めて上げてもらって、そこからずっと使っていただきました。

パンチ 自分では、どんなタイプのピッチャーだったと思っている?

香月 コントロールタイプの中継ぎですね。一番自信のあったのがシュートで、あとはカットボールとか。

近鉄球団として最後のドライチ(ドラフト最上位指名)入団の選手だった


パンチ 仰木監督からは、何を学びましたか。

香月 結構、のびのびやらせていただきました。アップ中、外野でピッチャーが練習しているじゃないですか。仰木さんはそのへんを歩きながら、みんなの様子をチェックしているんです。それも、ただ見て回るだけでなく、「どうや?」とか、気を使って声を掛けてくださいました。

パンチ まあ、豪快と言われていたけど、結構いろいろ見てくれていた人だったよね。しかし、中継ぎで信頼してもらったのはいいけど、登板過多じゃないかって心配する声もあったよね。しんどいと思うときもあった? それとも、やっぱり投げられるうちが華と思っていた?

香月 もちろんしんどいときもありましたけど、僕は基本、毎日でも投げたいタイプだったので、使ってもらえてよかったなと思っています。

パンチ 肩はすぐ作れるほうだったんだ。

香月 早いほうでしたね。

パンチ 僕は「ピンチヒッターっていうのはこういうものなんだ」と分かったときには、極端な話、9回までベンチに座って、バットを振らないでいても、「行け」と言われたら、ガッと入っていけたものなんだ。自分が試合に入ってさえいればね。それまでは、1回の裏からバットを振っていたこともあったのに。だけど主に中継ぎをやっていて、先発したいとは思わなかった?

香月 入る前は先発しかやっていなかったので、最初、中継ぎは無理と思っていました。無理というか、慣れなかったですね。でも徐々に慣れてきてからは、逆にもう先発はできなくなりました。

パンチ どのくらいのイニング投げていたの?

香月 長いときは、3イニング投げていましたね。

パンチ その中で、中継ぎの面白さはどんなところに感じた?

香月 その場面を抑えたら勝てる、というところですね。ほぼ毎回、ピンチの場面で出ていたので。

パンチ 打った選手もヒーローだけど、「あの場面で俺が抑えたからだ」と思えれば、それはやりがいだよね。

香月 はい、それはうれしいですよね。それと、毎日試合に出られることにも、喜びを感じていました。

パンチ ドキドキした場面で出られる、というね。逆に打たれたときは、どうやって切り替えていた?

香月 いや、僕結構引きずるタイプなんで、なかなか時間がかかっていたんですけど。次の試合を抑えるまでは、気にしていました。

パンチ そういう意味では先発で1週間引きずるより、中継ぎでどんどん次の試合が来るほうがいいんだ。

香月 コーチによっては、すぐ使ってくれるので、それで切り替えもできましたね。

ジャイアンツへのトレードはうれしさ半分で複雑な気持ち


オリックス時代を経て、巨人(写真)でも中継ぎとして活躍。2014年には41試合に登板した


パンチ 仰木監督も翌日にはきっちり切り替える人だったからね。ミスして「昨日はすみませんでした!」って言うと、「昨日は昨日、今日は今日」って。オリックスからジャイアンツへ、トレードで行ったときは自分的にはどう思ったの?

香月 複雑でした。うれしいのと半々ぐらいでしたね。あのユニフォームにはあこがれるけれども、果たしてジャイアンツに行って、自分が試合で投げられるのか。いろいろ厳しいイメージもありましたしね。でもトレードなので、行くしかありませんでした。

パンチ ジャイアンツのムードはどうだった? パとセでも、違いはあるうえに、特にジャイアンツでしょう。

香月 やはりジャイアンツは何にしても人が多いし、常に見られている感じがしましたね。

パンチ メディアもファンも、多いからね。セとパのバッターの違いはどうだった? パ・リーグのほうが怖かったんじゃない?

香月 皆さんおっしゃるように、パのバッターのほうがやっぱり豪快ですよね。僕はそこに慣れていましたから……。

パンチ プロでの一番素敵な思い出といえば?

香月 やはり08年、オリックスで2位になって、クライマックスシリーズに出られたことですね。あの年は結構、いいところで投げさせてもらいました。

パンチ 引退のときは、自分で「もうここまでだな」と思った?

香月 いえ、自分ではまったくそうは思っていませんでした。まだ余裕でやれると思っていました。だけど、その年の7月――トレードの期限が終わっても、一軍に上げてもらえなかったんです。どんな年も、毎年1回は一軍に上がっていたのに、その年はどんなに二軍で抑えて結果を残しても上げてもらえず、「ああ、もう今年までなんだな」と思いました。

パンチ コーチの自分に対する接し方とか、空気で感じるものはあるよね。それで、ヨソでやろうという気にはならなかった?

香月 もちろん、ありました。それで、いろいろトライアウトも受けて、結果ダメだったんです。年齢もあるのかな、と思いました。

パンチ 自分的にはもうちょっとやれると思っていたわけね。

香月 はい、体も元気でしたから。

パンチ そこをどうやって切り替えて、うまく踏ん切りをつけられたのかな。台湾や韓国に行く人も、結構いるじゃない。

香月 台湾には一応、話を聞きに行ったんですよ。でも結果的には、ダメでした。とはいえ独立リーグに行ってまでは……と思い、知り合いだったここの会長に相談したんです。

パンチ 会長とは、やはりジャイアンツに来た縁で知り合ったの?

香月 時期としてはジャイアンツに来てからですが、嫁さんの父親の関係です。

<「2」へ続く>

●香月良太(かつき・りょうた)
1982年7月27日生まれ、福岡県出身。柳川高ではエースとして3年春夏と連続で甲子園ベスト8。社会人・東芝を経て、2004年近鉄に自由枠で入団。05年、球団合併に伴いオリックスに移籍し、主に中継ぎ投手として活躍。13年、東野峻らとの交換トレードで巨人に移籍。巨人でも14年に41試合に登板し3勝を挙げた。16年限りで現役引退。通算成績は371試合で18勝10敗3S、防御率3.88。現在は株式会社ネットワークファッション社員として、自社の焼酎「となりのおくさん」を提供する旬彩処「となりのおくさん」(東京都渋谷区広尾1-16-2)の責任者を務める。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。

構成=前田恵 写真=幡原裕治
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