昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、平日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 張本勲、復帰会見
今回は『1965年8月9日号』。定価は50円だ。
オールスターが賑やかに開幕、と書きたいところだが、巨人・王貞治、
金田正一、西鉄・
中西太、東映・
張本勲らの欠場でやや寂しさもあったのは事実。
その中で気を吐いたのが第1戦のMVP、阪急・
スペンサーだ。1戦目は2安打2打点と打ちまくるも、2戦目は1安打1打点2四球、2戦目は3四球と勝負を避けられた。
当時のオールスターは全米への中継もあり、この年は、12年前にNYジャイアンツの監督として来日したことがあるレオ・ドローチャーが解説者として現れた。
ドローチャーはスペンサーのジャイアンツ時代の監督でもあり、
「日本に来て、より一層迫力が出たようだ。私が使っていた当時も、このくらいの力を出してくれたらなあ」と話し、夜にはスペンサーと食事に行ったという。
また、12年前と比べ日本人選手の体格は向上したことに驚きながらも「外野に関しては、どうも腑に落ちない。これだけ体格がよくなったのに内野、または本塁に正確にスピードの乗った返球ができないのはなぜなのか」とも語っている。
結果はパの2勝1分。セの藤本定義監督(
阪神)は、
「セのほうが選手が疲れている。パは1位とそのほかがこんなに開いている。もう勝負などどうでもいいんだ。パのほうがのんびりやれるんだ」
と南海独走を言い訳にしていた。
離脱組は、右足負傷の王が後半戦スタートの24日の
中日戦(中日)で13日ぶりに復帰し、いきなり22号と元気なところを見せた。
また、暴力事件で謹慎中だった張本も処分が解け、24日から復帰。復帰会見では、
「本当に申し訳ないことをした。心のどこかに思い上がりがあったのかもしれません。これからは社会人としてもフェアプレーできる人間になるよう努力します」
と謝罪した。
7月23日、
広島は、
白石勝巳監督の休養、
長谷川良平コーチの代理監督昇格を発表した。チーム不振の責任をとりたいと、白石監督が辞表を出したため。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM