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4連覇時の監督から“夢”を託された早大・小宮山悟監督

 

世代を超えて共通している恩師


早大・小宮山監督(右)は稲門倶楽部(野球部OB会)総会、選手激励会で野村徹元監督(左)と対面し、指揮官の心構えを聞いた


 伝統校を率いる責任の重さを体感した。早大野球部稲門倶楽部(野球部OB会)の総会、選手激励会が1月12日、東京都内のホテルで開かれた。1月1日付で就任した小宮山悟新監督は約100人の出席者の前で、決意を新たにした。昨年までは稲門倶楽部副会長として、現役をサポートする側だったが、今回はまったく逆の立場であり、心境も大きく違った。

「毎年、OBとして出席していますが、今回は大勢のOBから『頑張れ!!』と激励の言葉をいただき、期待の大きさを感じています」

 昨秋のリーグ戦後の11月11日から特別コーチとして指導し、年明けからは正式に監督としてグラウンドに立っている。この日は約2時間、先輩、後輩に囲まれ、母校監督として指揮する責任の重さを、あらためて受け止めた。

 小宮山監督はこの日を、待ち望んでいた。全幅の信頼を置く、大先輩・野村徹氏(元監督)が出席すると聞いていたからだ。

「石井(連藏)さんの亡きいま(15年9月逝去)、私の拠りどころは野村さん」(小宮山監督)

「学生野球の父」と言われ、早大初代監督・飛田穂洲氏と同じ水戸一高出身で、薫陶を受けてきたのが石井連藏氏だ。石井氏が早大を指揮した第1期(1958〜63年)の教え子が野村氏で、第2期(88〜94年)に石井氏から指導を受けたのが小宮山監督という関係にある。

 世代を超えて、恩師が共通しているだけではない。野村氏は1960年秋、不滅の名勝負である「早慶6連戦」を正捕手として経験しているが、当時のマネジャーだった故・黒須睦男氏が小宮山氏の義父に当たる。野村氏は言う。

「小宮山は教え子ではないが、縁があって……。黒須が早逝したものですから、その親代わりといったところが、われわれの世代にはある。黒須に成り代わって、応援していくべきだな、と。(我が子のように)心配ですよ。82歳になりましたが、少し免疫が出たかもしれない。生きる活力を与えてくれましたよ(笑)」

 小宮山監督が野村氏を尊敬する理由は、指導理論にある。

「野村さんが4連覇(2002年春〜03年秋)したときの、東伏見(グラウンド)はただならぬ空気。(現在とは)天と地の差。この一点に尽きる。あの雰囲気を取り戻せば、負けることはない」

 小宮山監督は現役時代、ロッテ、横浜を経てメッツでプレーし帰国した2003年は所属球団がなく、現役続行を目指してトレーニングを積んでいた。そんな折、1999年より早大を率いていた野村氏から声がかかり、東伏見(現安部球場)を訪問する機会が多かった。

「一歩、足を踏み入れると、そこは別世界」

 強烈な記憶を忘れることはない。まさに原点回帰。小宮山監督は「完成形」という16年前のムードを追い求めている。

新しい時代を築くこと


 野村氏が小宮山監督に期待しているのは「温故知新」だ。

「早稲田の精神を継承することも大事ですが、小宮山には大学の野球の本来あるべき姿、新しい時代を築いてほしい」

 特に声を大にしているのが、早大スポーツ科学部との連携強化だ。最先端の研究の成果を、指導現場へと落とし込んでほしいという。小宮山氏も就任当初からミッションの一つとして語っていた。野村氏の「若いときに俺ができなかった夢を、小宮山に託したい」との言葉を受けて、小宮山監督は背筋を伸ばした。

「これから、何をどうするか――。野村さんに頭を下げてお願いし、学ぶことも多いと思う。夢? よく理解しているつもりですが余計、プレッシャーに感じる。早稲田大学野球部にとって良いことになると(自分に)言い聞かせて、事に当たりたい」

 写真撮影では2人に笑顔を要望したが、小宮山監督は緊張しっぱなし……。先輩と後輩の間には、ただならぬ絆と深い信頼があった。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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