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背番号物語2019

【背番号物語2019】「#11」チームのエースから世界のエースへ

 

背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。

阪神の村山が唯一の永久欠番



 それぞれの時代に、それぞれの印象を残す好投手がいた。「1」から「10」までは野手、「11」からは投手が並ぶことが多く、背番号順に選手が並ぶと、「11」が投手の筆頭となる。「1」がチームの顔と言うべき打者のナンバーだとしたら、「11」はチームの顔と言うべき投手の背番号だ。

 2リーグ分立と時を同じくして、「11」が投手ナンバーとして確立。その1950年、巨人別所毅彦が背番号を変更して「11」となり、初代の日本シリーズ覇者となった毎日では“火の玉投手”と呼ばれた左腕の荒巻淳が「11」だった。

 その後、「長続きしない不吉な番号」と言われていた阪神村山実(昌史)が背負い、悲壮感すら漂う“ザトペック投法”で巨人に立ち向かって「11」唯一の永久欠番に。広島黄金時代には独特のフォームで真っ向勝負を繰り広げた池谷公二郎がいた。佐藤義則は阪急からオリックスにかけて「11」の最長となる22年間も背負い続けて、40歳でノーヒットノーランを達成。

 巨人では別所から渡辺秀武高橋善正(良昌)、リリーフ左腕の角三男らを経て89年に11連続完投勝利のプロ野球新記録を樹立した斎藤雅樹が翌90年に継承、“90年代最強のエース”と呼ばれる活躍を見せる。その巨人では2019年から「11」に。山口はDeNAでも「11」で、かつての背番号に新天地で“復帰”した形だ。

【12球団・主な歴代「11」】
巨人 内堀保、別所毅彦、角三男、斎藤雅樹、山口俊☆(2019年〜)

阪神 藤井勇野崎泰一御園生崇男三船正俊、村山実(昌史)★

中日 野村実三沢淳小野和幸川上憲伸小笠原慎之介

オリックス 山田伝河野旭輝戸田善紀、佐藤義則、松葉貴大

ソフトバンク 安井亀和上田卓三吉田豊彦小椋真介中田賢一

日本ハム 原田清稲垣正夫大島康徳ダルビッシュ有、大谷翔平

ロッテ 荒巻淳、妻島芳郎水谷則博前田幸長佐々木千隼

DeNA 高橋重行、シピン、斎藤隆、山口俊、東克樹

西武 井上善夫森繁和石井丈裕岸孝之今井達也

広島 拝藤宣雄池田英俊、池谷公二郎、紀藤真琴福井優也

ヤクルト 成田敬二(啓二)、田所善治郎西井哲夫荒木大輔由規

楽天 一場靖弘福盛和男塩見貴洋、岸孝之☆
(☆は2019年、★は永久欠番)

メジャーへ羽ばたいた投手たち


近鉄・野茂英雄


 90年に野茂英雄が近鉄で「11」を背負うと、“トルネード投法”で旋風を巻き起こす。野茂は海を渡り、その「11」を継承したのがクローザーの大塚晶文(のち晶則)。斎藤隆が先発の一角を担って横浜38年ぶりの日本一に貢献した98年には、「20」がエースナンバーの中日でも川上憲伸が着けて新たな印象を築いた。

 21世紀に入ると、日本ハムではダルビッシュ有から大谷翔平がリレーして、2018年からはエンゼルスでプレーしている。野茂は日本人メジャー・リーガーのパイオニアであると同時に、メジャーへ羽ばたく「11」のパイオニアとも言えるだろう。

 1リーグ時代は野手も多く、その後も大洋と巨人のシピン、日本ハムの大島康徳など好打者もいるが、圧倒的な少数派だ。ただ、大谷は“二刀流”の強打者でもあり、右ヒジ手術の影響で19年は打者に専念するという。背番号こそ「11」ではなくなったが、強打者の印象が逆輸入される可能性もありそうだ。

写真=BBM
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