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週刊ベースボール60周年記念企画

巨人・金田正一、復活!/週べ1965年9月27日号

 

昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

長嶋茂雄のアウトステップ


表紙は南海・野村克也


 今回は『1965年9月27日号』。定価は50円だ。
 
 最初に書いておく。以前も一度やってしまったのだが、この記事を前日にアップする際、設定を間違え、いわゆる“過去”の日時を入れてしまった。
 即座に削除したのだが、うまくいかず……。この記事を2度目にお読みいただいている方がいたら、誠に申し訳ない。
 以後、気をつけます。

 9月8日、左ヒジ痛で長期離脱中だった巨人金田正一が古巣のサンケイ戦(後楽園)で復帰登板。1失点完投で7勝目を挙げ、バットでも二塁打を放った。
 今季の復帰は難しいのでは、と言われていたが、直前の4日に自身初のイースタン“1勝”を挙げての登板だった。

 試合後、金田は上機嫌で喋りまくる。
「久しぶりやったね。ワシが速球を投げたときスタンドがどよめいたのは、プレートのワシの耳にもいつも入ってくる。これがないとワシは本物じゃないと思うとる。今日はあれが聞こえよった。ええ気持ちやった」

 巨人は、この後も後楽園で広島相手に連戦。11日には城之内邦雄が7連勝で15勝目、翌12日はリリーフの宮田征典が3イニングを締め、18勝目をマーク。これで2位中日とは6ゲーム差だ。

 好調巨人の中で、唯一表情が暗いのは打率3割に届かぬ不振に苦しむ長嶋茂雄。少しさかのぼるが、8月1日広島戦(広島)では成績不振で欠場もあった。本人はさほどショックではなかったようだが、
「東京駅に降りたらえらいカメラマンがたくさんいるんですよ。何事かなと思ったら僕なんですよ(笑)」
 ただ、それなりに悩んでいたのも確かなようで打撃練習では打席の後ろから助走をつけるように走りながら打って、周囲を驚かせた。

 マスコミからは毎度だが、アウトステップの癖を叩かれた。
「僕は学生時代からアウトステップなんですよ。アウトステップしても僕は右肩が残っているから打てる。まったく問題ない。ただ、確かに今年の春先、調子が悪いときは、体が一緒に前に出た。お客さんからは『まだ夏は来てないぞ。泳ぐのは早いぞ』とヤジられました(笑)」

 パ・リーグでは各球団の投手が勝負を避けたこともあって、一気に調子を崩した阪急・スペンサーが記者を自宅に呼んで不満を爆発させた。
「私はパ・リーグのほとんどの投手に失望を感じた。日本野球界は僕にホームランタイトルを渡したくないのだろう。どうかしてるよ」
 9月10日現在、南海・野村克也は打率.338、本塁打35本、打点96。
 対してスペンサーは打率.323、本塁打34、打点69。一時は三冠王の可能性もあったスペンサーだが、残り試合を考えれば、タイトルの可能性はホームラン王だけになった。
「野村は確かにナイスバッターだが、それ以上に幸運だ。自分は歩かされるが、彼はそうではない。ベースは自分のほうが上だと思っているが、打たせてくれないことには仕方ない」
 また、スペンサーが阪急の野球を「ハイスクール(高校野球)のようだ」と言ったことで、味方の中にも反スペンサー的な雰囲気になったことについては、「私はそんなことを言った覚えはない。ただ、南海に比べ気迫が足りないのは確かだ」と話していた。
 この後の交通事故で野村が三冠という流れが定説になっているが、このイライラぶりでは、実際には事故がなくても野村は三冠王になっていたのではないか。

 65年は“8時半の男”、巨人・宮田征典、“西の8時半の男”、広島・竜憲一、さらに右肩の故障でやむなく抑えになった南海・杉浦忠が活躍し、リリーフ元年とも言えるシーズンだったが、今度は中日に“8時45分の男”が登場した。
 現在、タレントで活躍する板東英二だ。宮田らは7回からの登板が多いが、板東は8、9回がメーンなので15分遅れらしい。西沢道夫監督は、
「いまの板東は宮田と決してヒケを取らない。むしろ宮田以上の実績がある」
 と大絶賛。
 板東は当初、リリーフ起用について、
「やはり投手は先発して完投しなきゃ。勝ち星を挙げんことには給料が上がらんからな」と言っていたが、球団社長から「ちゃんとチームへの貢献度を克明に調べ、データとしてまとめているんだ。勝ち星にとらわれず、心置きなく働いてくれ」と言われ、モヤモヤが消えたという。
「よーし、球団がそういう方針なら心配もない」
 現金な気もするが。これもまた、板東らしいか。

 今回はいつもより興味深いネタが多かったので少し長く。
 サンケイの捕手・岩崎哲郎について紹介してみよう。
 65年当時、現役選手として登録されているが、これは養老年金を受けるとき有利になるようにという球団の配慮で、実際には選手は完全に引退し、二軍でブルペン捕手、ノッカー、マネジャー、一軍のスコアラー、寮長の補佐と幅広く働く、いわば便利屋だった。

 人情家で知られ、後輩選手に慕われたが、少々手が早く、時に鉄拳も振るったという。
 一例として東京理大を卒業し、60年に入団した投手、平社達三郎との逸話があった。
 平社は無口な変わり者で知られ、寮の風呂にも入りたがらず、とにかく写真嫌いだった。あるとき、それを知らず平社にカメラを向けたカメラマンにボールを投げつけたことがあったという。
 幸い球は当たらなかったが、怒ったのがノッカーをしていた岩崎だった。すぐさま平社を怒鳴りつけ、ボコボコに殴った。
 あとで分かったことだが、実は平社は背中に大きなアザがあり、みんなと風呂に入るのが嫌で、自然と人間嫌い、カメラ嫌いになっていたらしい。

 記事は、この岩崎の鉄拳で平社が性格を変え、みんなと打ちとけるようになったと結んでいるが、いまの時代なら美談ではなく、完全にアウトだろう。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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