昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、平日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ドライスデールが日本へ?
今回は『1965年10月4日号』。定価は50円だ。
「三冠王になったらいくら儲かるか」という記事があった。
連盟からは、タイトル料が1部門15万円だから3つで45万円。ほか過去の快挙の際から推定した三冠王賞が30万円、MVPを取ったと仮定すると20万円で95万円になる。
巨人の
王貞治を例にとれば、プラス球団からブロンズ像などを含め、賞金・賞品は130万円程度で、合わせて225万円と推定されていた。
さらに、年俸は巨人のタイトル料は50万と言われるのでMVP、三冠王を足せば250万円。これにベースアップ分となる。
意外と大したことはない。
この時点でセでは王、パでは南海・
野村克也の三冠王が話題となっていたが、戦前の未公認記録「三冠王」として注目されたのが元巨人・
中島治康だ。春季秋季で分かれていた1938年秋に打撃三冠を手にしている。
40試合で打率.361、本塁打10、打点38が成績だった。
ただ本人に聞いても「三冠王? そんなもんなかったよ。昔は」と言い、「当時打者の表彰は首位打者だけ。あとは最高殊勲選手だった」。ちなみに最高殊勲選手の賞品は100円のドイツ製時計だったという。大学出の初任給が50円だった時代だ。
大洋・
別所毅彦コーチが一時辞任かと騒がれたが、親会社の重役会で留任となったらしい。問題になったのは、出向選手批判だった。つまり大洋漁業本社に入社し、そこから大洋球団に出向となった選手だ。彼らは引退後、本社に戻ることができる。
別所は、
「男なら自分の職業に命をかけるべきだ。こういう選手はどうしてもハッスルしない。プロである以上、こういう制度は考えものだ」
と発言し、問題となっていた。
ただ、のち別所コーチは、
「いい勉強になったよ。一つ一つの発言を慎重にしなきゃいけないということや」
とこぼしていたから、まさに“口が滑った”というヤツだったのだろう。
初のドラフト会議を前に銚子商のエース、
木樽正明が話題となっていた。当初は慶大進学が濃厚と言われたのだが、夏の甲子園の準優勝で評価が急上昇。連日、プロスカウトの木樽詣が始まった。さらにサンフランシスコ・ジャイアンツの極東担当スカウト・原田恒男も参戦。南海出身の
村上雅則の活躍もあって球団内で日本人投手の評価が上がっていたらしい。
さらにロサンゼルス・ドジャースのドン・ドライスデール投手を日本の球団が50万ドルで勧誘しているという記事が地元ロサンゼルスの新聞に掲載された。
本人のコメントもあって「シーズンが終わってから検討したい」とあった。
ドライスデールは65年23勝を挙げている大エース。にわかには信じがたい。それでも日本では「サン
ケイではないか」と噂になった。3日前に田中常務が新外国人獲得のため渡米していたからだ。
しかしサンケイの友田代表は「50万ドルといえば1億8000万円じゃないですか。そんな大金を払える球団はないでしょう。まあ、サンケイと思ってくれる人がいるのは光栄ですが」と一蹴。どうやらガセだったようだ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM