週刊ベースボールONLINE

背番号物語2019

【背番号物語2019】「#21」清宮の誕生に続いて岩隈が復活

 

背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。

岩隈は近鉄最後、楽天最初の「21」


巨人岩隈久志(左は原辰徳監督)


 2017年オフ、日本ハムへ入団した清宮幸太郎が着けて脚光を浴びた「21」。今までにない新たな選手像、という意図とのことだが、確かに、野手はプロ野球の契約第1号でもある巨人の三原修ら少数派で、清宮が高校時代と同様にプロでも活躍すれば、まったく新しい強打のイメージを「21」に築くことになるだろう。

 一方、近鉄で最後の、そして楽天で最初の「21」を着けた岩隈久志は18年オフに巨人でNPBへ復帰することが決まり、新天地でも「21」を背負うことに。これにより、16年オフにトレードで移籍してきて「21」を着けた吉川光夫は左腕の印象が強い「47」へと変更となった。

 ただ、もともと「21」はセ・リーグでは左のエースナンバー、かつて岩隈がいたパ・リーグでは右のエースナンバーという傾向が強い。岩隈がパ・リーグからメジャーを経てセ・リーグへと右のエースナンバーを持ち込んだ形だが、その巨人は異色の系譜で、V9の高橋一三、90年代に谷間の先発で活躍した宮本和知ら左腕エースもいた一方で、その間の15年、「21」で投げ続けたのが右腕の加藤初。右腕ではエースナンバー「18」を背負う前の藤田元司堀内恒夫がプロ1年目だけ「21」で、エースの“出世番号”という印象もあった。ちなみに、三原、藤田、堀内の3選手は、のちに監督にもなっている。

【12球団・主な歴代「21」】
巨人 三原修、高橋一三、加藤初、宮本和知、岩隈久志☆(2019年〜)

阪神 横山光次益山性旭遠山昭治関川浩一岩田稔

中日 山中巽松本幸行杉本正、チェン、岡田俊哉

オリックス 森弘太郎今井雄太郎野田浩司西勇輝竹安大知☆(2019年〜)

ソフトバンク 川崎徳次柚木進杉浦忠金城基泰和田毅

日本ハム 土橋正幸高橋直樹西崎幸広武田久、清宮幸太郎☆

ロッテ 西田孝之倉持明関清和平井光親内竜也

DeNA 鬼頭洋野村収野村弘(弘樹)、吉見祐治今永昇太

西武 川崎徳次、東尾修渡辺智男石井貴十亀剣

広島 米山光男(祐昭)、竜憲一佐伯和司山根雅仁中崎翔太

ヤクルト 森滝義巳松村憲章鈴木康二朗伊藤智仁松岡健一

楽天 岩隈久志、釜田佳直
(☆は2019年)

セ・リーグは左のエースナンバー


横浜・野村弘樹


 パ・リーグが誇るエースの筆頭は、南海を2リーグ制となって初の日本一に導いた杉浦忠だろう。ソフトバンクの系譜では、その前後にもエース格の好投手が並ぶ。

「21」の最長は、低迷する西鉄から黄金期の西武まで投げ続けた東尾修の20年。オリックスの系譜では初代の森弘太郎、DH制で唯一の完全試合を成し遂げた今井雄太郎、18年オフにFAで去った西勇輝ら3投手がノーヒットノーランを達成。“お化けフォーク”でゲーム19奪三振をマークした野田浩司もいた。左腕はソフトバンクで現役の和田毅ら少数派だ。

 一方のセ・リーグは、現役でも中日の岡田俊哉、DeNAの今永昇太ら前途有望な若手も多く、その系譜をさかのぼると、中日にはテンポのいい投球が持ち味だった松本幸行、DeNAには1998年の日本一に貢献した野村弘樹(弘)がいる。

 例外はヤクルトで、完全試合の森滝義巳、打者の手元で沈むボールで凡打の山を築いた鈴木康二朗、「20」から“移籍”した伊藤智仁ら、他チームの左腕エースに見劣りしない右腕が並ぶ。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング