背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 ロッテではファンの背番号
中日の初代は
石丸進一。1941年に兄の藤吉がいた名古屋に入団し、その兵役で空いていた二塁手に。兄の復員もあって2年目から投手に回り初登板初完封、3年目にはノーヒットノーランも達成したが、そのオフに応召。特攻隊に志願し、終戦から約3カ月前、南海上で戦死した。多くのプロ野球選手が戦火に消えたが、特攻で散った唯一の選手だ。
戦後、その魂を受け継ぐかのように多彩な好投手が「26」を背負ったが、逆境に立ち向かい、独特の光を放った不屈の投手たちが多い。エリート系は巨人の内海哲也と
DeNAの
濱口遥大ぐらい。内海は一時期、エースとして君臨。初代でもある祖父・五十雄の背番号を“相続”した珍しいケースでもあるが、その内海はFAの人的補償で
西武へ移籍したため、迎えた2019年、巨人の「26」は欠番だ。
ちなみに、
ロッテの「26」はベンチ入りした25人の選手に続く「26人目の選手」という意味で、「ファンの背番号」として準永久欠番となっている。
【12球団・主な歴代「26」】
巨人
内海五十雄、
中村稔、
西本聖、
西山一宇、内海哲也
阪神 奈良友夫、
渡辺省三、
工藤一彦、
江草仁貴、
呂彦青☆
中日 石丸進一、
徳永喜久夫、
佐藤政夫、
落合英二、
井領雅貴☆
オリックス 藤井道夫、
小林晋哉、
伊藤隆偉、
岩下修一、
東明大貴☆
ソフトバンク 村上一治、
藤田学、
松中信彦、
川原弘之、
吉住晴斗☆
日本ハム 久保田治、
江夏豊、
西村基史、
糸井嘉男、
淺間大基☆
ロッテ
坂本文次郎、大塚弥寿雄、
小俣進、
小川博、
和田孝志 DeNA
宮崎剛、
近藤和彦、
田代富雄、
佐伯貴弘、濱口遥大☆
西武
金森栄治、
鹿取義隆、
星野智樹、
川越誠司、
粟津凱士☆(2019年〜)
広島 木下強三、江夏豊、
山本和男、
廣瀬純、
中田廉☆
ヤクルト 石岡康三、
井原慎一朗、
秦真司、
久古健太郎、
坂本光士郎☆(2019年〜)
楽天 有銘兼久、
金刃憲人、
渡辺直人☆
(☆は2019年)
逆境から輝きを放った投手たち
阪神・江夏豊
70年代後半から90年代にかけてが「26」の最盛期だろう。阪神に放出され、南海も“お家騒動”に巻き込まれて退団、79年に広島へと流れ着き、日本ハムと2チームで「26」を着けて“優勝請負人”と呼ばれたのが江夏豊だ。
ほぼ同時期の巨人に西本聖がいる。ドラフト外から這い上がり、魔球とも言われた
シュートと“怪物”
江川卓への激しい負けん気を武器に、特に日本シリーズの大舞台では燃えに燃えて、2度にまたがって29イニング連続無失点の好投を見せた。巨人で登板機会が減った鹿取義隆は西武で「26」となって再起、90年代のリーグ5連覇を支えている。
同時期には大洋に少数派の打者で“オバQ”田代富雄がいた。本塁打と三振を量産した豪快な長距離砲だ。濱口が着けたことで途切れたが、DeNAは長く好打者がリレーしてきた唯一のチームで、田代の前任者は頭上にバットをかつぐように構える“天秤棒打法”の近藤和仁。後継者は佐伯貴弘で、01年に「10」へと“出世”したが、低迷すると「最後は、この番号で終わろう」(佐伯)と07年に「26」へ戻して、復活の打率3割をマークした。
ほかのチームでは、松中信彦がダイエーで、糸井嘉男が日本ハムで、それぞれ若手時代に着けて飛躍した。少数派ながら「26」は打者のラッキーナンバーと言えるかもしれない。
写真=BBM