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第1回ドラフト会議は変化球ばかりだった?/週べ1965年12月6日号(後編)

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

東京は木樽獲得に自信


表紙は南海・蔭山和夫



 今回は『1965年12月6日号』。定価は50円だ。
 午前中に南海・蔭山和夫新監督の記事をアップしたが、長くなったので、話題はそれ一つに絞り、後編としてドラフト会議を中心にしたイレギュラーのプラス1も掲載しておく。

 11月17日、新人採用制度による第1回選抜会議(ドラフト会議)が行われた(都内日生会館)。
 まず12球団の第一次選択権の選手名が書かれた紙が配られた。
 当初は銚子商高の投手・木樽正明、駒大の捕手・新宅洋志、慶大の内野手・広野功らが重複するのでは、と言われたが、彼らの名は第一次になく、重複も関西高の投手・森安敏明の東映とサンケイ、鎮西高の投手・田端謙二郎の近鉄、広島だけ。

 下位で指名が予想されていた選手も多く、明らかに各球団が重複を警戒しすぎた結果。記事では「変化球の投げ過ぎ」とあった。
 中でも阪神が1位に挙げた土庄高の投手・石床幹雄には場内にざわめきが起こり、あちこちで「どこの選手だ」「知ってるか」とささやき声がしたという。

 巨人の1位は甲府商高の怪腕・堀内恒夫。明大進学が決まっていたと言われていたが、担当の沢田幸夫スカウトが明大OB。巨人との契約に問題はないだろう、と書かれている。のち堀内本人もこれが“出来レース”であったと明かしていた。

 堀内と並ぶ高校ナンバー1と言われた木樽は二次選択の三番目で東京が交渉権を得た。父親は「うちの息子がウエーバー(二次以降)、しかも東京とは」と表情を曇らせた。
 木樽本人は会見を開き、
「私の進学の希望は変わりません。早慶立のいずれかの大学に進みたいと思います。プロは巨人ファンであることを隠しません」
 と語った。おそらくドラフトがなければ巨人入りしていたのだろう。

 一方、東京の青木スカウトは
「各球団が殺到すると思ってなかばあきらめていた。あれほどほしがっていた巨人、南海はどうしたのかね」と首をひねりながら、木樽が拒否しているが、と聞かれ、
「うちもそれなりの下準備をしている。まあ、見てくれたまえ」
 と余裕たっぷりに語った。

 なお東京は本堂安次監督退任後、南海・鶴岡一人監督の決断待ち。秋のオープン戦の指揮は田丸仁二軍監督が執っていた。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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