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初めてのドラフト、契約金をめぐる混乱/週べ1965年12月20日号

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

金田正一は巨人でもノーサイン




 今回は『1965年12月20日号』。定価は50円だ。

 世間の常識をはるかに超える新人への契約金の高騰に、巨人らを除く、ほぼすべての球団がギブアップする形で、この年から誕生したドラフト会議。
 11月17日に行われ、2週間が経ったが、指名した131人のうちプロ入りが決まったのは、まだ15人だった。

 しかも、この15人にほとんど大物はいなかった。
 進学希望を打ち出している木樽正明(銚子商高─東京)らはともかく、プロ入りを表明した法大の長池徳二(阪急)、「巨人入りできてよかった」と語った甲府商高の堀内恒夫もまだ未契約。
 各スカウトに理由を尋ねると、口をそろえて「条件の差」と答えた。
 
 昨年まで4000万円、5000万円とも言われた額の契約金がもらえないのは分かっていたが、ドラフト規定に「最高1300万円」と書かれていたので、ほとんどの上位指名選手はその額はもらえるものだと思っていた。

 ただ、これには公表されていなかった但し書きがあり、事前に希望順位を書いて提出するリストの1位に7球団以上が挙げた選手とある。
 以下、5、6球団が最高800万、5球団以下は500万。2位以下のウエーバーは400万以下だ。

 現実には2球団が2人いただけなので最高は500万だが、その後、急きょ「実情にマッチしない」との各球団からの声に1000万円に変更された経緯があったという。

 プロの指名を喜んだ選手たち(というか親)が想像以上に低い契約金を聞いた途端、だったら大学進学がいい、社会人がいいとなったらしい。
 昔ならここで提示金額を上げるのだが、いまは交渉権が独占できライバルがいないとあって各球団静観状態、というのが契約停滞の現実だったようだ。

 下落ぶりがはっきりしたのが、中日が2位指名した新宅洋志。前年駒大を中退し、契約金3500万で入団が内定していたが、駒大監督の説得で4年間在学することにした。
 それが今年は2位だから400万以下、それがいやでも他球団に入るには1年待たなければならない。
 新人側で考えれば、わずか1年で天と地の違いだ。

 さらにドラフトのもう一つの弊害が「枠があったから一応指名した」というケース。球団は一応選択をしたが、補強資金の問題もあり、まったく交渉も連絡もしなかったということもあったらしい。

 12月4日、羽田空港から南海のスタンカが帰国の途に就いた。南海には、
「もう野球はやる気持ちはなくなった。アメリカで保険の外交員をするつもりだ」
 と退団の意思を伝えていた。
 15歳の長男ジョーイ君を浴室でのガス中毒で失い、そのショックからまだ立ち直れないままだった。

 巨人の捕手・森昌彦へのインタビューもあった。それによると金田正一は、国鉄時代同様。いまだノーサインで投げていたらしい。
 開幕当時はサインを作っていたのだが、金田がその場のインスピレーションでサインと違う球を投げ、森のほうで「危ないからノーサインで」と頼んだという。
 森は当時から内、外野手にも1球1球サインを伝えており、それが金田のときはできないと嘆いていた。
 外野手に捕手から伝えるには、かなり大きなゼスチャーが必要だから内野に伝え、内野から外野だったのだろう。

 では、また月曜に(現状、祝日はアップ予定)。

<次回に続く>

写真=BBM


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