昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 火をつけた近鉄・佐伯オーナーの発言
今回は『1966年1月10日新年特大号』。定価は70円だ。
証券不況が続く中、これまでも何度かあったプロ野球の1リーグ制問題が再び言われ始めていた。
火をつけたのは、近鉄・佐伯勇オーナーの発言だ。
「現在の経済情勢は、非常に憂慮すべきところまで来ている。これからはプロ野球も親会社のPR機関という観念から脱皮し、独立した企業として採算をとっていかなければいかん。それには狭い日本に12球団は多すぎる。1リーグにして、ある程度球団を縮小しなければ、巨人以外は共倒れになると思う。もし各チームが真剣にプロ野球の繁栄を考え、共存共栄の立場にたって抜本的な対策を立てるならば、私は喜んで1リーグ制への推進役となる」
自球団はなくなってもいい、と覚悟の発言でもある。
この時期、親会社から各球団に対し、健全経営を求める傾向が強まっていた。それが最大の無駄遣いとも言える新人への高額な契約金の抑制、いわゆるドラフト制度誕生に導いたのは確かだ。
さらに支配下選手を60人から50人に、一時期増加傾向にあった試合数も130試合にと、あちこちで縮小傾向が強まっていた。
また、支配下選手の減少の余波ではないが、これまで二軍選手や言い方は悪いが“飼い殺し”的な選手がやっていた打撃投手について、巨人、
中日は球団職員として選手とは別の雇用にした。
観客動員の数字について見てみよう。
セは64年度に627万人の新記録を作ったが、65年度は1万9420人が減った。しかも、この中でダブルヘッダーを廃止し、観客動員増を図った巨人は10万近く増えていたという。
いわゆる巨人の一人勝ち傾向がさらに強まっていた。
パは65年度が前年より11万7574人減、1試合あたり1641人減とあった。
ちなみに1試合平均はセが1万4884人、パが5956人だった。
パで盛り上がる1リーグ制に対し、ドル箱巨人戦を持つセは、おおむね反対の姿勢。鈴木龍二セ会長は、
「巨人とゲームをやりたいだけの方便ではないか。たとえパが4球団になったとしても、セが同調する必要はない」
と語っていた。
この問題は簡単ではない。冒頭の近鉄・佐伯オーナーの発言は確かに「ファン無視」と言われても仕方はないが、現実にこの時期のパ球団は毎年毎年雪だるま式に赤字が増えていた。
巨人戦で棚ぼたのような収入があるセ球団とは、まったく違う。
さらに言えば、終わり方は納得できないが、2004年とパでの創設球団では、もっとも長く球団を維持した。
よく我慢してくれたな、という思いもある。
では、またあした。
<次回に続く>