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背番号物語2019

【背番号物語2019】「#36」好守の系譜に光る“ブンブン丸”

 

背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。

最初と最後を「36」で



 1990年代、野村克也監督のヤクルトが“ID野球”で黄金時代に突入。データ重視の緻密な野球には暗い印象がつきまといがちで、バブル崩壊によって世相も暗く沈みつつあったが、このころのヤクルトは元気だった。

 主砲は、三振かホームランか、というフルスイングで沸かせた“ブンブン丸”池山隆寛。その豪快さが、明るさを呼び込む一助となったと言えるだろう。84年の入団時、空いていた背番号の中から「おいちょかぶでサブロクの9がいい」という父の助言(?)で「36」に。11年ぶりのAクラス3位で終えた91年オフの契約更改で「年俸が現状維持なら背番号1を」と要求すると、翌92年に年俸は据え置きのまま“ミスター・スワローズ”の「1」となる。2000年に「36」へ戻して、02年限りで現役を引退した。

 ちなみに、同様にフルスイングが持ち味だった小笠原道大中日で「36」としてキャリアを終えている。

【12球団・主な歴代「36」】
巨人 国松彰柳田俊郎(真宏)、中井康之長嶋一茂石川慎吾

阪神 小林吉雄渡辺長助山脇光治田村勤浜地真澄

中日 本多逸郎千原陽三郎平井正史谷哲也石岡諒太

オリックス 梶本靖郎新井良夫山森雅文(眞幸)、下山真二山足達也

ソフトバンク 戸川一郎池之上格山川周一明石健志牧原大成

日本ハム 石原碩夫、落合勘一、藤島誠剛MICHEAL中村勝

ロッテ 栗木孝幸大坂雅彦三井雅晴サブロー有吉優樹

DeNA 佐藤守生、竹村一義小山昭吉(昭晴)、進藤達哉狩野行寿

西武 八浪知行植田征作安部理、デニー、伊藤翔

広島 丸岡栄、渡辺秀武今井譲二佐竹健太塹江敦哉

ヤクルト 大脇照夫渡辺進、池山隆寛、川端慎吾廣岡大志

楽天 朝井秀樹榎本葵内田靖人
(☆は2019年)

若手時代のサブローは語呂合わせで


ロッテ・サブロー


 そのフルスイングからは想像しにくいが、池山は内野守備の名手でもある。ほぼ同時期、同様に「36」から「1」となり、やはり遊撃から三塁へと定位置を変えたのが横浜の進藤達哉。華麗さよりも堅実さを優先した球界屈指の守備職人だった。外野守備を評価されて日本人で初めて米国の野球殿堂入りを果たしたのが阪急の山森雅文(眞幸)だ。

 中日の初代は俊足の一番打者として初の日本一に貢献した本多逸郎だが、入団時は投手で、21世紀になって平井正史、友利結(デニー)ら好投手がリレー。のちに平井は復帰したオリックスで、デニーは西武時代の背番号を中日で、ともに再び「36」を背負って現役を引退している。

 また、巨人では、「36」で頭角を現した技巧派左腕の高橋尚成、日本ハムでも着けていたリリーバーのMICHEAL(マイケル中村)らがリレーしているが、もともとは打の名ワキ役がリレーしてきたナンバー。投手へとバトンを渡したのは長嶋一茂だ。やや余談めくが、同時期に父の長嶋茂雄監督は「33」を着けていて、これと同様に同じチームの「33」と血縁があったのが阪急の梶本靖郎。「33」で一時代を築いた梶本隆夫の弟で、兄との継投でプロ5年目に初勝利を挙げた。

 さらに余談めくが、名前との語呂合わせで入団から2年だけ「36」だったのがロッテのサブロー。のちの中心打者が、まだ外野守備だけの選手だった若手時代だ。

写真=BBM
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