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背番号物語2019

【背番号物語2019】「#44」1980年代に助っ人三冠王が大爆発

 

背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。

3年連続で「44」が三冠王に


阪急・ブーマー


 忌み数が並んで縁起が悪い印象の「44」。普及は「42」よりも早いが、「44」の選手は短命に終わることが多く、しだいに外国人選手へ割り振られるように。エポックは1980年代だ。84年に阪急のブーマーが三冠王に輝いて最後の優勝に貢献、翌85年には阪神のバースが三冠王となって2リーグ制では初となる日本一の原動力に。バースは続く86年にも三冠王となり、3年連続で助っ人三冠王の背中に「44」が輝いた。21世紀にはT・ウッズが横浜と中日で「44」を着けて3度の本塁打王に。日本ハムも古くから外国人打者が多いが、大砲というよりはクルーズやブリューワらの中距離打者タイプだ。

 その80年代にブーマーやバースの向こうを張った日本人選手の「44」が巨人山本功児で、ベテランとなって移籍したロッテでは主軸に。巨人の系譜で異色なのが投手の関本四十四だ。見ての通り、名前にあやかって着けたものだったが、すぐに太平洋へ移籍となって期間は1年だけに終わった。投手は少数派だが、近年ではメジャーでも活躍した楽天斎藤隆も印象に残る。

【12球団・主な歴代「44」】
巨人 関本四十四、山本功児、緒方耕一カミネロゲレーロ☆(2019年〜)

阪神 辻恭彦ブリーデン、バース、フィルダー、梅野隆太郎

中日 山部精治金山仙吉(卓嗣)、神山一義、T・ウッズ、モヤ☆

オリックス 高井保弘、ブーマー、高橋智鈴木郁洋頓宮裕真☆(2019年〜)

ソフトバンク 定岡智秋門田博光岸川勝也柳田悠岐バンデンハーク

日本ハム ラドラ、クルーズ、ブリューワ、上田佳範森山恵佑

ロッテ 池田啓一、山本功児、島田茂吉鶴憲治井上晴哉

DeNA 幸田優及川宣士加藤博一、ブラッグス、佐野恵太

西武 荻野一雄大田卓司清水雅治高山久小川龍也☆(2018年シーズン途中〜)

広島 金田留広福地和広(寿樹)、迎祐一郎松山竜平林晃汰☆(2019年〜)

ヤクルト 中村国昭、ハウエル、青柳進松井光介岩橋慶侍

楽天 デイモン、中谷仁、テレーロ、斎藤隆、足立祐一
(☆は2019年)

門田と松山は背番号を大きくする通過点に


南海・門田博光


 現役ではソフトバンクで来日から本拠地14連勝を挙げたバンデンハークも投手だが、もともとは強打者の系譜で、「44」を本塁打数の目標とした門田博光から“門田2世”岸川勝也を経て柳田悠岐の出世番号に。かつては50年に岡本伊三美が着けていた記録もある。

 目標をクリアして「60」へと変更した門田と同様、背番号を大きくしているのが広島で現役の松山竜平で、「37」から「44」を経て19年から「55」でプレーする。

 強打の助っ人と対極にいるような韋駄天たちもいる。元祖といえるのが大洋の加藤博一だろう。ただ、それまでの「22」を新人に与えるための変更だったことで最初は激怒。それでも「よいよい」と読み換える天性のポジティブさを発揮して背番号の数を盗塁の目標に設定すると、変更から2年目の85年に目標を超える自己最多の48盗塁をマークする。3チーム、7つの背番号を渡り歩いた加藤のフィナーレを飾ったのが「44」だった。

 続いて同じスイッチヒッターで90年代に2度の盗塁王に輝いた巨人の緒方耕一。縁起の悪い番号に家族も困惑したというが、「2」への変更も断り、一貫して「44」を背負い続けた。

写真=BBM
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