昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 スタンカ復帰を南海が拒否
今回は『1966年3月21日号』。定価は60円だ。
いよいよオープン戦突入。この連載は時々、リアルタイムとシンクロするが、すぐズレていく。
一般週刊誌に『謀略ウズ巻く
巨人軍の内幕』という記事が載った。
退職した巨人の細川清元人事部長がネタ元だ。
細川氏によれば、前年65年末、西鉄・
玉造陽二と
塩原明の交換トレードの交渉に失敗した際、X氏が次のような怪文書を流したという。
「細川人事部長にトレードやスカウトを任せることは巨人軍にとってマイナスだ。彼が福岡に飛んでの玉造、塩原のトレード話は、いっこうに進展しなかったではないか。細川が巨人から退団しなければ、日本一の巨人にはなれない」
この怪文書がX氏の仕業と分かり、細川氏は辞表を出した。
X氏が細川氏が巨人に入るまでは毎月20万円くらいの交際費を使って銀座を遊び歩いていたが、細川氏が在任中はムダ金を一銭も使わせず、それで恨まれた、のではという。
記事中では、このX氏が実名で書かかれていたが、真偽の分かる話ではなく、匿名のままとさせてもらう。
長男の死去で失意の退団となった南海の
スタンカ。アメリカで雑貨屋をしていたが、「もう一度日本でプレーしたい」と南海に手紙を出した。
しかし球団は「若返りの方針に反する」と
鶴岡一人監督に相談もせずに断りの電報を打った。
これに対し、「球団は偉そうなことを言っても、要はカネがないんだろ」と批判する関係者は多かったが、鶴岡監督は、
「人事は球団のえらいさんが決めることや」
とコメントせず。批判の矛先は鶴岡監督にも向かい、
「昔のツルさんならスタンカを戻していた。もう南海への愛情がないんだ。今年限りで辞めるつもりなんだ」
と噂された。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM