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パンチ佐藤の漢の背中!

元日本ハム・嶋田信敏氏「『元プロ野球選手』というプライドを持っているからこそ、どんな仕事もできる」/パンチ佐藤の漢の背中!「2」

 

『ベースボールマガジン』で連載している「現役を引退してから別のお仕事で頑張っている元プロ野球選手」のもとをパンチさんが訪ね、お話をうかがう連載です。今回は日本ハムの外野守備の名手だった嶋田信敏さんがゲスト。東京・赤坂見附の「歌と野球を愛するカラオケスナックUTANOB」にうかがいました。

“監督代行”10年で2人の教え子をプロへ


嶋田信敏氏(左)、パンチ佐藤


 日本ハム・大島康徳監督は2002年限りで退任。大島監督の声掛けでコーチに就いた嶋田信敏さんは、「自分も大島さんと一緒に辞めるものだと思っていた」という。

 翌日、いの一番に球団へ呼ばれ、クビの宣告を覚悟して向かった嶋田さんは、そこで意外な言葉を聞いた。

「(トレイ)ヒルマンともう1年やって、勉強しなさい」――。

 その03年シーズン終了後、嶋田さんは日本ハムのユニフォームを脱いだ。自らが活躍した本拠地・東京ドーム最後の年だった。

パンチ 日本ハムをお辞めになって、大学野球の監督さんになるまでは、どんな経緯が?

嶋田 コーチ退任と同時に日本ハムが北海道に移っちゃったんだけど、そこで北海道新聞とHBCラジオから仕事をいただけてね。それをやりながら、出張野球教室をやり始めたの。そんなとき、日本ハムで一緒だったキャッチャーの田村藤夫さんに、「お前、大学で週2、3回やってみないか」と誘われて。東京・杉並にある高千穂大学で監督代行を10年。

パンチ 代行を10年ですか?

嶋田 面白いでしょ(笑)。そのあと1年監督をやって、都合11年。

パンチ ずっと野球の仕事に携わることには、僕はいい面も悪い面もあると思うんです。だから、スパッと辞める人もいる。僕はそっちのタイプなんですが、嶋田さんはどんなふうに感じていらしたのですか。

嶋田 解説の仕事もよかったんだけど、わざわざ声を掛けてもらってね。やはり野球をやってきた人間は、ユニフォームを着るのがいいんだろうなと思う半面、もうプロ野球の世界には戻れないと思っていた。そこへ大学野球なんて、まったく未知の世界の話が来たからね。で、行ってみたら専用グラウンドもない野球部なのよ。でも、やってみようかなと思って。

パンチ 大学野球の面白さはどんなところにありましたか?

嶋田 リーグ戦だね。パンチ君も亜細亜でやっていたから分かるでしょう。あのリーグ戦を、僕みたいに高校から入ってきたヤツはまったく知らないんだ。でもリーグ戦にはリーグ戦の戦い方があって、「落としちゃいけないチーム」「1勝1敗でいいチーム」を考えさせてやっていくのは面白かった。全員一般入試を受けてくるんで、逆に言えば来る者拒まずの野球部だったけど、その中からオリックス戸田亮(18年自由契約)、中日三ツ間卓也の2人、プロ野球選手が出たんだよ。

パンチ 大学の監督って、そういう喜びもあるんですよね。退任後、このお店を始めたきっかけは?

嶋田 17年の3月で退任したんだけど、こういうお店をやりたいなという気持ちはずっとあってね。楽器を置いて、自由に演奏しながら歌ってもらう。楽しいでしょ。原宿でよく、こういうお店に行っていたんだよ。そこのお店はもっと格好よくて、本格的なドラムが置いてあるんだけど。だけど、(17年10月に)オープンするまで無職でいるわけにもいかないでしょう。だからその間は、お抱え運転手の派遣サービス会社に登録して、デイサービスのドライバーをやっていたんですよ。

パンチ おじいちゃん、おばあちゃんを介護施設に乗せていく?

嶋田 そう。初めはその会社に「ウチにこんな(元プロ野球選手の)人、登録させられない」と言われたんだけど、「“こんな人”って、僕は今、無職ですよ」って、仕事をさせてもらいました。

チャリンとドアが開くとお客様が神様に見えた


東京メトロ赤坂見附駅から徒歩1分、「歌と野球を愛するカラオケスナックUTANOB」(東京都港区赤坂3-21-4 サンライト赤坂4F)では楽器演奏も楽しめる


パンチ 嶋田さん、それは偉いですよ。18歳でプロに入って、正直野球のことしか知らない。野球人としか付き合ってこなかったわけじゃないですか。すると中には、ピノキオみたいに鼻が伸びちゃう人もいるわけじゃないですか。

嶋田 知り合いにも言われたよ。「なんでそんな仕事できるの? 元プロ野球選手のプライドないの?」って。でも違うよね。『元プロ野球選手』というプライドを持っているから、どんな仕事でもできるんだ。「コイツ、野球しかできないのか」っていうんじゃイヤでしょう。

パンチ そこですよ、嶋田さん! 僕もそう思います。いやあ、今日は嶋田さんとお会いできて本当によかった!! お店がオープンしてから1年超。ここまでどうでしたか?

嶋田 出だしはよかったんだ。特に12月が素晴らしくよくてね。それでやっていけるんじゃないかと思ったんだけど、18年の4月になって、ちょっと悪くなった。飲食店は社会の情勢とか気候に関係するというのがよく分かったね。暑いときは、人が出ない。7月は厳しかったなあ。だからチャリンってドアが開くと、お客様が神様に見えるの。

パンチ その気持ちですよね。その気持ちがお客さんを呼ぶんです。今、仕事は楽しいですか?

嶋田 楽しいよ。苦しいときだって、自分の気持ちまで重くなっちゃったら、それが顔に出るから以心伝心で、お客さんもここに来てくれなくなると思う。いつも楽しいからまた来ようって思ってもらえるようにしないと、ダメだよね。

パンチ「なんかあそこ行くと楽しいよね、ラッキーな風が吹くよね」って。僕は取材で盛岡に行ったとき、フォークソングの店に連れて行ってもらったんですけど、やっぱり歌って盛り上がりました。歌とスポーツって本当、みんなが一つになれますよね。今後の夢は、やはりこちらのお店を盛り上げていくことですか?

嶋田 今後、いろんなイベントもどんどんやっていきたいね。18年はファンの皆さんを募って、ここでクライマックスシリーズを見たり、広瀬哲朗(元日本ハム)のトークショーをやったりしたの。開店前に、グループ単位での英会話教室もしているし。あと、18年の11月から『OUTFIELDER』という名前で外野守備と走塁だけの出張教室を始めたんですよ。

パンチ 面白いですね。バッティングなしって。

嶋田 だって僕がバッティング教えたって、信ぴょう性がない(笑)。

パンチ 今からでは遅いですけど、ちょっと教えてもらえますか?

嶋田 一つ言うと、外野は構えちゃいけないの。フリーバッティングでボケーッと立ってて、「あ、飛んだ」ってポンッとスタート切るじゃない。あの感覚を持たなきゃいけないんだ。

パンチ プロ野球の後輩たちには、どんな言葉を贈りたいですか?

嶋田 トライアウトを受けるくらいの熱い気持ちがあるんだったら、現役の今のうちに精いっぱいやっておいたほうがいいと思うんだよね。そうすれば、引退したときに「俺はもう、野球はスパッと辞める」という気持ちが芽生えると思う。で、本当に一生懸命やっていれば、球団に残してもらえたり、他のチームに呼ばれたり、アマチュア野球の指導者の話があったり、なんらかの形で野球に携わることもできる。必ず誰かが見ていてくれると思いますよ。

パンチ それがねえ、気が付かないんですよね、現役のときって。例えばオリックス二軍時代、半分ふてくされた自分がいたんですけど、当然相手チームも見ていますよね。あそこで頑張っていたら、どこかのチームがパンチを面倒見ようかってことになっていたと思います。

嶋田 なんせ、自分のやりたいことは常に全力でやるべきだと思うよ。二軍の四番バッターが一軍に行くとさっぱり打てなくなっちゃうでしょう。あれは、二軍では七、八分の力でやっているのに、一軍に行くと二軍のときよりすごく力を入れて打つから、ポイントがずれてしまうわけ。ピッチャーだったら、リリースポイントがずれる。だから、結果が出ないんだ。常に一生懸命、全力でやって、そのやり方をいつ、いかなるときも体から忘れさせちゃいけないと思う。それができたら、応援してくれる人がいて、助けてくれる。今の僕の場合は、それがお店に来てくれるお客さんたちだね。

パンチの取材後記


 今回は嶋田さんがハツラツ、生き生きと仕事をしていらっしゃる様子がガンガン伝わってきて、本当に楽しい対談になりました。やはり一番印象に残ったのは、「元プロ野球選手のプライドがあるからこそ、いただいた仕事はきっちりやるんだ」というひと言。とにかくカッコいい。痺れましたね。

 僕には、好きなフレーズがあるんですよ。某居酒屋のトイレに張ってあったんですけど、「本気でやれば、なんでもできる。本気でやれば、なんでも楽しい。本気でやれば、誰かが助けてくれる」。嶋田さんも「人は、絶対一人じゃ生きていけないから」とおっしゃっていました。それだけじゃなく、ハツラツと生きていれば、ハツラツとした人が寄ってきて、ますますハツラツとした、大きな輪ができるんですね。

 嶋田さんの爽やかな生き方、僕も見習いたいです。

<完>

●嶋田信敏(しまだ・のぶとし)
1960年4月9日生まれ、神奈川県出身。日大藤沢高から79年ドラフト外で日本ハムに入団。好守の外野手として80年代後半から頭角を現し、90年には113試合に出場し、打率.262の成績を残す。94年限りで現役引退。通算成績は678試合、198安打(打率.243)、14本塁打、84打点。引退後は日本ハムの二軍コーチから会社員、一軍コーチ、高千穂大学監督代行を経て、現在は東京・赤坂見附で「歌と野球を愛するカラオケスナックUTANOB」のマスターを務める。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。

構成=前田恵 写真=山口高明
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