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背番号物語2019

【背番号物語2019】「#0」背番号の歴史における異色のエポック

 

背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。

長嶋清幸がエポックメーカーに



 野球というスポーツは、グラウンド上にある1つのボールをめぐって展開される。ボールの数は「1」だ。打者が持つバットの数も「1」……等など、“数えられる”数字より、“無”を意味する「0」は登場が遅く、数字の歴史的にはエポックなのだという。

 数字の難しいことは分からないが、プロ野球の背番号においては、間違いなくほかの数字よりも登場は遅い。日本で初めて選手の背番号としての「0」を背負ったのは広島の長嶋清幸。メジャーで最初に着けたエクスポズのアル・オリバーが1982年にナ・リーグの首位打者に輝き、長嶋が古葉竹識監督に相談して83年に着けたものだ。

 その83年に長嶋は外野の定位置をつかんで全試合に出場、84年の阪急との日本シリーズで劇的本塁打を連発して、背番号「0」は一気に浸透。長嶋の活躍がなければ、「0」の選手は長嶋が最初で最後になっていたかもしれず、背番号の歴史でも長嶋の「0」は大きなエポックとなった。のちに移籍した中日で3代目、阪神では2代目の「0」にもなった長嶋の存在感は、登場から30年を経た現在でも「0」の系譜で圧倒的だ。

【12球団・主な歴代「0」】
巨人 川相昌弘木村拓也大村三郎藤村大介吉川尚輝

阪神 中野佐資吉田浩中村豊大和木浪聖也☆(2019年〜)

中日 藤王康晴種田仁、長嶋清幸、ルナ、高松渡

オリックス 野中崇博、本西厚博森山周、鉄平、山崎福也

ソフトバンク 立石充男佐々木誠島田誠石毛宏典高田知季

日本ハム 大畑徹松浦宏明長冨浩志古城茂幸

ロッテ 初芝清吉田篤史諸積兼司荻野忠寛荻野貴司

DeNA 石井琢朗万永貴司小関竜也山崎憲晴中井大介☆(2019年〜)

西武 羽生田忠克河田雄祐高波文一大崎雄太朗水口大地

広島 長嶋清幸、高信二、木村拓也、井生崇光上本崇司

ヤクルト 柳田浩一(柳田昌夫)、城友博志田宗大比屋根渉藤井亮太☆(2019年〜)

楽天 酒井忠晴佐藤宏志内村賢介島井寛仁
(☆は2019年)

守備の名手と新天地のベテラン


ダイエー・石毛宏典


 勝負強い左のスラッガーだった長嶋だが、このタイプは少数派。ロッテでは初芝清が出世番号としているが、全体では内野手で巨人の川相昌弘、外野手ではオリックスの本西厚博ら守備の達人が多いナンバーだ。広島で長嶋の後継者となり、巨人で川相の後継者となった木村拓也らユーティリティーも目立つ。

「ゼロからの再出発」という意味合いもあり、ベテランが移籍した新天地で着けるケースも少なくない。西武からダイエーへ移籍した石毛宏典が好例で、2019年にもDeNAで中井大介が新たに「0」となった。

 チームごとでは、発祥の広島では厚遇されている印象がある。異色なのは日本ハムで、松浦宏明、長冨浩志ら稀少な投手が2人も並んでいるだけでも異例だが、07年に継承がピタリとストップ。背番号の系譜でほかのチームと明確に一線を画す日本ハムらしい措置だ。

 ちなみに、プロ野球が始まった36年、中日のテストを受けて秋のシーズンに入団した西沢道夫が着けたのが最初という説もあるが、当時の西沢は15歳。現在の中学3年生と同じ年齢で、練習の手伝いをしていただけだったというから、中日のレジェンドは、いわば「0」の“第0号”といったところか。

写真=BBM
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