昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 阪神に御家騒動の予兆が……
今回は『1966年7月4日号』。定価は60円だ。
最下位には大洋がドカリと座り、5位にはサン
ケイがいたが、阪神が2弱に加わる勢いで低空飛行を始めていた。
この年から藤本定義監督に代わり、
杉下茂が監督になったが、実績も選手への人望もあった藤本をなぜ代えたのかと、当初からさまざまなウワサが流れていた。
一番はチームの功労者・
吉田義男の移籍話。球団は放出の方針だったが、藤本はこれを渋った。球団は外様の杉下なら大胆な移籍ができるのでは、と思ったらしい。
しかし、実際にはそれが杉下に伝わる前に、杉下が「吉田は必要な選手だ」と発言し、迷走が始まった。いろいろな派閥があって、チーム内は大変なことになっていたらしい。
担当記者は匿名でこう言う。
「杉下監督は、まるで牢屋の中で暴れているようなもんさ。外からはガチャンとカギをかけられている。しかし、なんとかこの暗い場所から抜け出したい。暴れたところでどうにもならんのだが、といってじっとしているわけにもいかない。気の毒なことだよ」
巨人の新人・
堀内恒夫が止まらない。
6月18日大洋戦の完封勝利で、この年6勝目。さらに新人投手の連続無失点記録33回3分の1を塗り替え、41イニングとした。防御率も規定投球回に1イニング足りぬ時点で0.19のすさまじさだ。
一方、サンフランシスコ・ジャイアンツで日本人メジャー第1号として華々しい活躍を残し、南海に復帰した
村上雅則。当初は
杉浦忠に代わるエースと期待されたが、先発挑戦が不発に終わり、6月18日現在リリーフ中心で19試合に投げ4勝1敗。どうもパッとしない。
この村上がアメリカからやってきた記者に「本音」を語ったとして物議を醸していた。
これによれば、
「日本のファンはサンフランシスコのファンより無礼だ。ピッチングがうまくいかないと、すぐヤジる。アメリカに帰れ、とね」
と不満を漏らし、アメリカに帰るつもりは、と聞かれると、こう答えた。
「それは秘密だ。ただ、僕が日本人というだけで、どうして日本でプレーしなければいけないのか分からない。南海はもう二度とアメリカにやってはくれないでしょう。ジャイアンツの友達に伝えてください。僕はサンフランシスコが懐かしい」
仲間うちなら、目くじらを立てるほどでもない話だが、この記者が読売新聞に記事を書いてしまった。
あらためて内容について聞かれた村上は、
「言ったこともあるし、言わないことも書いてあります。想像して書いたんでしょう」
と答えた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM