昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 バッティングセンターが大ブームに
今回は『1966年7月25日号』。定価は60円だ。
セでは巨人が独走を始めた。原動力は打では
王貞治、投では新人の
堀内恒夫。7月6日の
阪神戦に完封勝利した堀内は、
稲尾和久(西鉄)の8連勝を抜き、9連勝という新人開幕連勝の新記録をつくった。
白昼堂々パチンコ屋に行ったり、実際には先発予定がないのに、顔見知りの記者を、
「今日僕先発なんですよ。ウソだと思うなら賭けてもいいですよ」
とからかうなど、言動とも、まさに新人離れをしていた。
阪神では
村山実が左ヒザのケガと闘いながらのピッチングを続けていた。
この春、安芸キャンプで「自分の限界を試してみたい」と語り、38度の熱があった日も、すさまじい猛練習をやめなかったが、残念ながら左足太ももにハリが出始めた。
その後、左足関節の炎症と診断されるも、村山はそれを周囲に隠し、開幕から投げ続けた。
6月上旬にはこれが悪化し、ドクターストップがかかったが、村山はそれを無視し、痛み止めの注射を打って登板。試合中、投げ終わった後に何度もヒザをついたり、一塁側のゴロを捕って、そのままベースを踏もうと向かった際、最後、頭からヘッドスライディングをするなどした。
すさまじい痛みに「一晩中眠れなかったり、マウンドで涙が出そうになったこともある」という。
それでも、「捕手とのサインが気まり、球を握ると、もうホームベースと打者しか見えん」。
すさまじい闘志である。
バッティングセンターが各地でオープン。大ブームとなっていた。
1966年3月20日に関西では初めてという西日本バッティングセンターが開場。以後2カ月で33店がオープンした。この時点で日本最大規模と言われるのは、大阪・尼崎のABCバッティングセンター。マシンは10台で左投げが2台、下手投げが1台。週に1回、元阪神の
藤村富美男が模範バッティングをしている。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM