昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中(平日のみ)。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 大杉勝男はいい男
今回は『1966年8月15日号』。定価は60円だ。
野球に対し不勉強な記者に対する
イチローの愛のある“氷の対応”が話題になったが、この人は新人のときからそうだったようだ。
開幕から13連勝を続ける巨人の18歳・堀内恒夫だ。どんな質問にもまるで10年選手のように当意即妙に答えるが、記事に納得できなければ、年上の記者でも構わず、「もっと僕のことをよく知ってくれよ」と言っていた。
それでも嫌われなかったというのだから、人間的魅力があったのだろう。
都市対抗では18歳の新人、日石の
平松政次が「社会人の堀内」と話題になっていた。日石のエースナンバーだった27をもらい、快速球を武器に好投。公式戦では11勝2敗だった。ほぼストレートだけだったが、ほとんど連打を浴びることもなかったという。平松自身は「堀内もスピードがあるが、スピードだけなら俺も負けんよ」と言っていた。
本人は「プロには関心がない」と言っていたが、スカウト陣は「プロ志望はあるはず。意中の球団なら」と話していた。
ドラフトでは、高校卒業時同様、また争奪戦になることは間違いない。
東映では若き五番打者・
大杉勝男が注目を集めていた。変化球にもろさはあったが、天性のパワーで当たれば、とんでもない飛距離を出し、四番に入ったこともあった。
ただ、豪快な風貌とは裏腹に飛行機嫌いで知られており、チームが飛行機移動の際も「僕だけは汽車で」と頼んでいたという。
単なる臆病ではない。大杉が一番大事にしていたのは田舎の家族だ。父親が交通事故で働けなくなり、大杉一家の生活は、彼の仕送りが支えていた。
大杉は言う。
「もしものことがあったら大杉家が大変だ」
性格もよく、
張本勲をはじめ、先輩たちもみなかわいがられていたという。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM