昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 王貞治の背広は難しい?
今回は『1966年5月23日号』。定価は60円だ。
前年プロ3年目にして17勝3敗をマークし、南海のエース格となった左腕・
林俊彦がヒジ痛で離脱となった。もともとヒジに痛みはあったらしいが、この年のオープン戦、寒い中で投げた1球のシュートが命取りだったらしい。
その後、西鉄の
稲尾和久らがよく通っていた大分別府にあった帯刀電気治療院で6日間治療。
「痛みはだいぶ治まった」
と言いながらも、その後、すぐ大阪に戻った。
帯刀美恵所長は「林さんは痛みが慢性化しているので、もっと長く治療したいのですが」。実は南海の場合、故障の治療費用は1日500円と決まっており、あとは自腹。宿泊費などを考えると、そうゆっくりはできなかったということらしい。
他球団の選手は滞在費は出してもらっていた。「さすが南海、シブチン」の声もあったようだ。
ただ、症状的には、いわゆる軟骨ネズミで、それは当時も分かっていたが、手術の選択肢はなく、治療法は電気治療かマッサージか(何かの)注射だった。つまりは安静にし、痛みを取ることに専念ということなのだろう。
そのシブチンの南海にもかかわらず、当時全国の税務署で発表していた長者番付で、
鶴岡一人監督が球界最高の3745万円と分かった。しかも、選手では、65年新人で4勝の
渡辺泰輔が3440万円だ。
意外な大盤振る舞いとも思ったが、同年三冠王の
野村克也は1197万円に過ぎない。
鶴岡の高年俸は一度退団の際に功労金をもらい、その後、再契約金をもらって復帰だったから、渡辺はドラフト前の入団とあって、契約金が高額だったということらしい。
快調にホームランを量産する新婚の巨人・
王貞治の記事もあった。
これによれば、当時の王は胸囲106センチ、ヒップ106センチだった。しかも、普通このサイズならお腹もそれなりに出ているのだが、王はしっかり引き締まり、普通の既製服では対応できない。背広は王専用の職人がいたようだ。
なお、太ももは60センチ以上と女性のウエスト以上。時々、親しい記者たちに一本足の状態で体を押させたこともあったが、ビクともしなかったらしい。
シーズンオフに巨人がドジャースを招待することが決まった。話題になっているのは、看板選手のコーファックスとドライスデールが来日するかどうか。オフのイベントだけに参加の最終判断は、球団ではなく、選手がするらしく、かなりのギャラが要求されるのでは、とさすがの巨人も戦々恐々だった。
では、またあした。
<次回に続く>