昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 巨人・広岡達朗に引退危機
今回は『1966年6月6日号』。定価は60円だ。
巨人のベテランで遊撃守備の名手・
広岡達朗が左下半身のマヒで離脱。新聞では「最悪ならプレー断念」と書かれた。
本人の話によれば、痛みはまったくないのだが、左手の指が曲がらず、左足もうまく上がらない。病院に行っても、はっきりした原因は分からなかったという。
一説ではメキシコ・タイガースとの試合でヒザをスパイクされた際、神経を痛めたのでは、とも言われた。
それでも伝説の整骨師・吉田増蔵の指示で、冷たくなっていた左腰を熱湯やカイロで常に温めているうちに次第に回復。広岡は「6月にはベンチに入りたい」と話していた。
5月12日、近鉄戦でKOされた東映の新人・
森安敏明は二軍落ち。開幕から完封、完投で2勝を挙げ、怪童とも言われたが、その後、パッとしない試合が続いていた。
強心臓ルーキーと言われ、18歳ながらキャンプでは毎晩のように真っ赤な顔で帰ってきたが、当時は、
「ビールぐらい飲みたくなるだろう」。
と周囲も優しかった。
それが打たれ出すと一転、
「よく合宿を抜け出して飲んで歩いているらしい。自制がきかないようだ。先輩の注意も馬耳東風だ」と批判されていた。
これもプロだ、というか未成年の飲酒は昔は大丈夫だったのかな。
阪神では65年の最多勝、
村山実がこの年も好調。
5月17日の
中日戦(甲子園)でシーズン初完封の7勝目。ハーラーダービーのトップにも立った。
実は前年は右手首を痛め、ちょうどこの5月17日がシーズン初登板。その試合は勝てなかったが、25勝は、そこから稼いだものだった。
「早いもんやな。今年は楽や」
と笑顔の村山。この日、プロ入り8年目にして初という快挙もやってのけた。
初回一死二塁のピンチにけん制で二塁走者を刺したのだ。それが何と言うなかれ。村山は南海の
鶴岡一人監督から「日本一けん制のヘタクソな男」と言われた選手。一塁で刺したことはあったが、二、三塁では本人いわく、「たぶん初」。
「最初で最後と違うか。まさかアウトにできるとはな」
と驚いていた。
最後は西鉄が酒で勝った話。緊縮大好きの国広社長のお達しで遠征中の飲酒は禁止となっていたが、5月4日からの5連敗もあって、国広社長から
中西太監督に「飲みたいものは好きなだけ飲んでもいい」と電話が入った。
これが効いたのか、翌12日、前回でも触れた
田中勉の完全試合で連敗を脱出した、
中西監督は「ええ刺激になったからかな。それにしてもみんなよく飲んだものや」。国広社長も「さすが豪傑。これから好きに飲ますか」と話していた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM