昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 泣いた堀内
今回は『1966年8月22日増大号』。定価は70円だ。
7月27日の
阪神戦で開幕から13連勝を飾った18歳の巨人・
堀内恒夫に土がついた。
31日の
広島戦で0対2の敗戦投手。相手の
安仁屋宗八が9回二死までノーヒットノーランの快投を見せ、堀内は5回二死から2点を失い降板した。
試合後、堀内は「広島はずるい野球をしますね。ああいうことをやられたら、僕にはどうしようもありません」と語った。これは5回裏二死満塁で登場した広島の代打男・
宮川孝雄だ。
2ストライク1ボールから堀内が投じた内角球に対し、まったく避けずに右ヒジに当て死球出塁。広島は押し出しで2点目を手にした。
宮川は平気な顔でこう語る。
「あの球は逃げようと思えば逃げられたが、当たれば1点確実だからね。そりゃ痛いが、そんなの自分が我慢すればいいだけ。ハチ(安仁屋)がいいピッチングをしていたから、どうしても勝たなきゃいけなかったしね。
それに確かに堀内はいい投手だが、プロ野球だからいつまでも勝たせるわけにはいかんでしょ」
さらなる屈辱が8月2日の
中日戦だった。9回裏二死満塁で登板し、同じ新人・
広野功と対決。広野は大卒だから年齢は上だ。ここで広野はなんと満塁逆転サヨナラ満塁弾。56年に樋笠(巨人)、藤村(阪神)がやって以来10年ぶりだった。
「登板したばかりで体が堅いから、まずカーブは投げてこない」
とストレート一本に絞った広野の読み勝ちだった。
実は広野には週に1回、徳島の母親から速達が届く。その中に毎回、
「お前も新人なら堀内も新人。自分が選んでプロに入ったからには絶対に堀内に負けないようにしなさい」
という檄が書かれていた。「これで安心してくれるでしょう」と広野も笑顔だった。
対して堀内のショックは大きく、うつろな表情のままバスに乗り込み、そこで人目をはばからず泣いた。
試合後、反省していたのはサードの長嶋茂雄。
「俺は堀内の気持ちを和らげようと思って、いいか、本塁打を打たれてもいいから思い切っていけよ、と言ったんだ。そしたらほんとに打たれちゃった」
堀内は翌4日に先発したが前半で打ち込まれ、降板。
「僕の力はもうみんなに知られてしまった。もう相手を抑えることはできないだろう」
つい数日前とは別人のように落ち込み、声もか細くなっていた。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM