昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 巨人・堀内は二軍落ち
今回は『1966年8月29日号』。定価は60円だ。
8月13日、大阪駅に病人のような顔色をした
阪神・杉下監督が到着した。遠征先の
広島で戸沢球団社長から休養を命じられ、総監督となっていた藤本定義が再び指揮を執ることになった。
「けさ、社長から話があった。これだけチームが不振であれば仕方ないだろう。藤本さんの下にまとまって早く立ち直ってほしい」
杉下は重い口をこじ開けるように言った。わずか4カ月の監督生活だった。
球団からは「杉下が気疲れから休養の申し出があり、それを受けた」とマスコミ各社に連絡があった。監督交代の際、地方で告げ、マスコミがあれこれ報じる前に一斉連絡するのは、阪神お家騒動の定番でもあった。
成績不振に加え、外様の杉下はチーム内でまったく人望がなく、
吉田義男、バッキーとは冷戦状態。彼らはマスコミに公然と監督批判を繰り返した。
退任は時間の問題と言われていた。
巨人では調子を落としていた新人・
堀内恒夫を二軍に落とした。
中日・広野功に逆転満塁サヨナラ弾を打たれた後、泣いた話は書いたが、
藤田元司コーチはこう言って二軍行きを告げた。
「自分の実力を思い知れ、打たれるのは当たり前だ。泣くのは自信過剰からだ。実力を思い知ったら二軍へ行くんだ。そしてキャッチャーのミットをめがけて、それだけを目標に投げてこい。まだピッチングの駆け引きを覚えるのは早すぎる」
二軍に落ちた堀内には、練習で球場に行く以外の外出禁止令が出た。かなり徹底したもので、髪が伸びたので「床屋に行きたい」と言った堀内に中尾二軍監督はこう言ったという。
「いったい何をしに床屋に行くんだ」
とはいえ、巨人一軍は大独走。評価が高いのは、
王貞治、
長嶋茂雄につなぐ二番打者・
土井正三。犠打、犠飛と裏方に徹し、チームを支える。
前年まで巨人でプレーしていた野球解説者・
関根潤三は言う。
「野球をよく知っている。インサイド・ベースボールに長けている。あとは自分の力、体力を心得、脇役に徹することによって自分の持ち味を生かそうと思っている」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM