昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 南海の秘密兵器はマッシー村上
今回は『1966年10月24日号』。定価は60円だ。
全日程を終了した南海。
2位の西鉄は負け数で並んでいたが、10月9日、東映に敗れ、南海優勝が決定した。
最後は西鉄の
中西太兼任監督が自ら代打で出るも、ショートゴロに終わった。
南海は、この日は大阪球場で練習。西鉄─東映戦は、ラジオでも大阪では放送がなく、鶴岡監督はネット裏の放送席で特別に流されている放送を聞いていた。
優勝を確認してグラウンドに現れ、「みんなマウンドへ」と第一声。
全選手に訓示を出そうと思ったらしいが、一気に選手は監督に駆け寄り、そのまま胴上げ。
「今年は監督1年生のつもりでやったので、特に感慨深いものがあります」
その後、記者たちに囲まれた鶴岡監督は静かに言った。
実は、日本シリーズで勝とうが負けようが鶴岡監督は辞めて球界を離れる、あるいは東京の監督になる、というウワサはあった。しかし、これに対し、
「巨人の謀略だ。この時期に噂を流し、南海ナインの意気と結束に水をさそうとしているんだ」
という声も。どちらが本当か。
敗れた西鉄に話を移す。試合後、中西監督はしばらくベンチに座ったまま無言。10分ほどしてから
「なにかありますかな」
と報道陣に言った。無理やり笑顔を浮かべたが、口を開くと、
「ファンに申し訳ない。ワシがへたくそだったんだ。選手たちがあんなに一生懸命やってくれたのに」
やっぱり愚痴になった。
巨人との日本シリーズで南海の秘密兵器と言われたのが、46試合に投げ、6勝4敗の
村上雅則。前年はサンフランシスコ・ジャイアンツで活躍した元メジャー・リーガーだ。
左腕から投じるチェンジアップとカーブが武器で、左打者に対しては絶対的な自信を持っていた。
加えて巨人はドジャースから多くを学んだことが知られているが、村上はドジャースを完全にカモにしていた。
大学野球では明大の
星野仙一が10月4日の立大戦でノーヒットノーラン達成。「母が一番喜んでくれると思います」と声を弾ませた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM