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中日・与田監督、伊東ヘッドの逆境時代

 

初めてチームを率いる与田監督。現役時代の数々の経験が指揮官として役立つはずだ


 2010年末だが、解説者時代の中日与田剛監督と伊東勤ヘッドコーチの対談取材を行ったことがある。テーマは「プロ野球人生で心に響いた出来事」。前年、WBC日本代表コーチとして世界一に輝いた間柄だったが、2人から真っ先に出てきたのは“逆境”時代のことだった。

伊東(西武での)新人時代、一軍キャンプのブルペンで古沢(憲司)さんの球を受ける機会があったんだけど、たった1球で「代われ」と言われてしまったんだ。“高卒1年目の捕手に俺の球が捕れるのか”ということだったんだと思うんだけど、これは厳しい世界だなとショックを受けたね。古沢さんは野球談議をさせたら何時間も話す、すごくいい人だけど、そのときは人間性も分からなかったから。ただ、同時にホッとした自分もいたんだよね。冷静に考えたらプロが厳しいのは当たり前だから。若いなりに、そういったことはすぐに考えることはできたね。

与田 プロ10年目の1999年、日本ハムにテスト入団したんですけど、まったく戦力になることができなくて。結局、クビになってしまうんですけど、上田(利治)監督も勇退することになったんですよね。千葉マリンで行われた最終戦に呼ばれてマウンドに上がらせてもらって。上田監督にあいさつしたときに握手をしながら「なにも与田君の力になれなかったなあ」と言われたときは悲しかったというか、つらかったですね。一軍の戦力になれなかったのは上田監督のせいではなくて、僕に力がなかっただけですから。僕を取ってくれた上田監督に恩返しをしたかったけどできなかった。翌年は阪神・野村(克也)監督に拾っていただきましたけど、そういった野球を続けさせてくれた人たちとの思い出は心に残っていますね。

 伊東ヘッドは1年目から試合に出始め、正捕手へと駆け上がっていったが、当初は配球で苦労した。監督やコーチといった指導者にはなかなか相談できなかったそうで、いつも悩みを話していたのは先輩捕手だったという。

伊東 黒田(正宏)さんに教えてもらったことは多い。単刀直入に「どうすればいい配球ができるんですか?」と聞いたら、「配球は人それぞれだから正解はない。それは自分でつくっていくものだ」と。要は配球に絶対はないから自分で探していけということ。答えをすべて聞くのではなく、自分で考えていくことも大切なんだと思った。

 与田監督は中日1年目に31セーブをマーク。守護神として君臨し、最優秀救援投手、新人王を獲得した。

与田 新人時代に星野(仙一)監督や落合(博満)さんに言われた「お前で負けたら仕方がない」という言葉が自分の礎となりましたね。守護神の座は自分の実力で奪ったわけではなかったですから。郭(源治)さんがケガをして、スクランブルで僕が起用されただけということ。だから、毎日ただ慌ただしく役割をこなしていくという感じでしたね。当然、何度もピンチをつくりながら切り抜けていたわけですから、そういった状況でありがたい言葉をかけられて、自分にとってはすごく気持ちが楽になりましたよね。「新人の俺にこんなに大きな責任を負わせてくれるんだ」と意気に感じる、やりがいを感じる言葉でした。

 今年から中日の「監督−ヘッドコーチ」となった2人。成功の陰で多くの失敗もしてきたが、そういった経験が低迷するチームを立て直す力となるか。この対談で与田監督は感銘を受けた言葉として中学生のころに読んだ僧侶・今東光の著書に出てきた「失望するなかれ」を挙げていた。どんな逆境が襲ってこようと、監督としても失望することなく全うすることを期待したい。

文=小林光男 写真=BBM
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