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週べ60周年記念企画

広岡達朗、コーチをやらぬ理由/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

本場の夜の盗塁王?


表紙は南海・鶴岡一人監督


 今回は『1966年11月14日号』。定価は60円だ。

 ドジャースが来日。コーファックス、ドライスデールと飛車角は落ちてるが、まずは日本での7戦に5勝2敗と勝ち越している。

 野球雑誌らしくはないが、週べではドジャースの選手たちの「夜の行状」を特集。その中で「足も速いが手も速い」というドジャースの盗塁王の話もあった(名前はあえて書かない)。

 通訳代わりに紹介してもらった女子アナウンサーをホテルに連れ込もうとして逃げられたり、まさに旅の恥はかき捨て状態。パーティー会場のホステスR嬢を口説き、こちらは何とか連れ出したらしいが、記事では、
「ホームスチールまで進んだかどうかは××××(実際は名前が入っている)とR嬢以外は誰も知らない」
 と結ばれていた。

 巨人広岡達朗を放出する方針を明らかにし、東京、中日から譲渡の申し出があったことを広岡に伝えた。

 しかし、その後、広岡は「どこにユニフォームも着る意思はない。野球人生は巨人で終わりたい」と話し、結局、10月28日、巨人は広岡を自由契約にした。

 コーチとしての誘いの声は多かったが、広岡は次のように話し拒否している。
 らしい言葉なので、長いが引用する。

「選手が無理だからコーチになれって、そう簡単に務まるものじゃないですよ。だいたい日本のコーチなんて、コーチする資格がある人がどれぐらいいるんだ。

 これは安易にコーチにしたり監督にするところに責任があると思うよ。現役時代、選手として実績があったからとか、チームに長くいたからと言って、すぐコーチになる。あるいは、親分が監督になったから、子分がその下でコーチになる。これではいけませんよ。

 僕はね、選手の野球とコーチの野球は全然違うものだと思うよ。さらに、監督の野球ということになれば、またさらに異なったものになるはずだ。だからコーチになるためには、いくら選手としてのキャリアがあってもいかん。新しくコーチとして野球を学び、それで自分が納得したら、初めてコーチをやる。
 僕のように、選手としても満足に卒業できなかった中途退学者がなんでおこがましくコーチができるのよ」

 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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