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週べ60周年記念企画

永田雅一の“見切り発車”はまたも失敗/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

天覧男の長嶋茂雄


表紙は巨人柴田勲、ドジャースのM・ウィルス



 今回は『1966年11月21日号』。定価は60円だ。

 11月6日、後楽園での日米親善野球第11戦は、昭和天皇・皇后をお招きし、天覧試合となった。試合は巨人・長嶋茂雄の先制弾などもあり、全日本がドジャース相手に11対3で勝利。さすが天覧男である。

 前号に書いた巨人・広岡達朗のコーチ就任拒否話と前後してしまうのだが、実は東京・永田雅一オーナーが10月26日に会見を開き、こんな発表をしていた。

 監督・三原脩(大洋監督)、ヘッドコーチ・濃人渉(東京二軍監督)、バッティングコーチ・戸倉勝城(評論家)、フィールディングコーチ・広岡達朗(巨人)。
 カッコ内は当時の所属、立場である。

 この1967年スタッフ、何がすごいかと言えば、“見切り発表”だったことだ。

 広岡については巨人とは話がついていたからまだマシだが、三原については大洋・中部謙吉オーナーに永田オーナーが「くれないか」と直談判し、はっきりではないが、断られていた。

 大洋の森代表が「あまり他人の家の台所をかき回さないでください」と記者団を通じて永田オーナーに訴える一幕もあった。
 前年も南海・鶴岡一人監督の招へいを早々に公表した。お騒がせ男は健在だ。

 なお、当時、パの西鉄、東映から声が上がっていた1リーグ制移行については、永田オーナーは「時代に逆行するものだ」と大反対していた。

 三原監督については、大洋内部で激しい批判があったことは確か。中部オーナーが反対を押し切り、留任させたのだが、別所毅彦コーチが解任された後、ヘッドコーチに三原の希望を聞かず、別当薫の招へいを決定。
 三原監督はそれを聞き、
「別当君は監督のできる人、大洋に二人もそういう人間はいらないでしょう」
 と話したという。

 阪急・西本幸雄監督不信任騒動の後日談もあった。不信任の11票は、どうやら主にベテランと投手だったらしい。
 ベテランについてはシーズン中から西本監督が若手重視の方針を打ち出していたこともあるが、投手陣については、西本監督だけではなく、真田重蔵投手コーチへの不満もあった。
 投手陣の一人は言う。
「あす先発と言われて調整しても、当日になって変えられることがよくあった。コンディションの調整が難しかった」
 西本監督は、ある程度、不信任の顔ぶれは分かっていたようだが、
「自分にも不信任される理由はあったのだろう」
 と追及はせず。投手、野手の主要選手(ただし中堅選手。ベテランとは話していない)とヒザを突き合わせての話し合いも行い、再出発の準備をしていた。

 若手ではパの投手、西鉄・尾崎正司、近鉄・伊勢孝夫が野手に転向という記事もあった。

 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM

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