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プロ野球回顧録

【平成中日年代記】星野竜と落合竜、2つのスタイルで

 

平成年代はナゴヤ球場、星野仙一監督時代から始まり、1997年にはナゴヤドームに移り、99年に優勝を飾る。2004年に落合博満監督が就任。堅守を武器に黄金時代を築き上げた。しかし、その後は世代交代がスムーズにはいかず、現在は苦戦が続いている。

大型補強が奏功し1999年V


1999年の優勝は神宮で星野監督が宙を舞う


 平成元年、1989年は前年優勝した中日が連覇に挑んだシーズンだったが、故障者続出もあって3位。巨人から移籍の西本聖は20勝を挙げ、最多勝。落合博満は本塁打王、打点王に輝いている。90年はドラフト1位の与田剛が150キロ台の剛速球で最優秀救援投手になるも、投打がかみ合わず、チームは星野仙一監督就任後、初のBクラス、4位に終わった。

 91年は夏場まで首位を走るも9月に急失速し2位がやっと。星野監督が退任し、往年の名二塁手・高木守道が指揮官となった92年は最下位に終わった。続く93年は左腕の山本昌広(のち山本昌)、今中慎二が最多勝を分け合う好調さでチームを引っ張り、2位。続く94年は、落合が巨人へ去ったが、代わって一塁に入った大豊泰昭が本塁打王、打点王、パウエルが首位打者で穴を埋めた。9月の9連勝で急浮上し、10月8日の最終戦、巨人との直接対決に勝てば優勝というところまでこぎつけたが、敗れた。95年は投手陣崩壊で低迷。5位に終わり、5年ぶりの星野監督復帰が発表された。

 96年は韓国の至宝・宣銅烈を獲得。宣は故障で振るわなかったものの、重量打線と若手投手の台頭もあって2位。ただ、翌97年は誤算だった。ナゴヤドーム元年だが、広くなった球場でのびのびと投げられるはずだった投手陣は、今中、野口茂樹の故障離脱も響き、崩壊。打線も12球団ワーストの打率.243で最下位に終わった。

 ここで星野監督は機動力、ディフェンス重視に舵を切る。大豊、矢野輝弘を放出し、阪神から久慈照嘉関川浩一を獲得。さらに韓国のイチローとも言われた李鍾範を迎えた。投手陣も新人・川上憲伸が先発に定着し、優勝を射程圏内にとらえたが、98年は2位に終わった。

 99年は開幕から11連勝で首位に立つ。6月に失速し、一時は阪神に首位を譲るも、7月になると再び快進撃をスタート。落合英二、新人・岩瀬仁紀、サムソンから宣銅烈へつなぐ勝利の方程式が光った。打線では“元気印”の関川がけん引役となり、優勝したが、ダイエーとの日本シリーズは1勝4敗と涙をのんだ。

 続く2000年は2位。優勝した巨人に9勝18敗もあって、オフにヤクルトで巨人キラーとして名をはせた川崎憲次郎を獲得したが、故障で1試合も登板できず、01年は5位と低迷し、星野監督は退任した。

 山田久志監督が就任した02年は3位。FAで谷繁元信を獲得も投手陣に故障者が出て伸び悩み、シーズン中にキューバからリナレスを獲得も、起爆剤にならなかった。翌03年は川上の右肩痛離脱も響き、星野監督が指揮する阪神に大きく引き離される。9月に入り、山田監督は解任。皮肉にもその後、14勝5敗1分けと強さを見せ、2位に入った。

黄金時代を築くも6年連続Bクラス


07年は落合監督の下、53年ぶりの日本一に輝いた


 04年、落合博満が監督就任。現役時代同様、オレ流を貫く。就任会見で「現有戦力で10パーセント底上げできれば必ず優勝できる」と語り、開幕投手には故障で離脱していた川崎を指名した。5月中旬まではBクラスだったが、徐々に加速。二遊間の荒木雅博井端弘和の“アライバ・コンビ”をはじめ、ゴールデン・グラブ6人の堅守も光った。17勝の川上がMVPや沢村賞を獲得。日本シリーズでは西武に3勝4敗で敗れた。

 横浜から大砲T.ウッズを加えた05年は、開幕から快進撃も球界初の交流戦に足をすくわれた。15勝21敗で負け越し。終盤に追い上げたが、首位・阪神には届かず。翌06年はスタートダッシュに失敗も逆に交流戦をバネにする。佐藤充の5試合連続完投勝利などもあって急浮上。96試合目でマジックが点灯した。優勝決定は10月10日、巨人戦(東京ドーム)。延長12回に福留孝介のタイムリー、T.ウッズの満塁弾。ベンチの落合監督の目には涙が光った。

 福留は「3割、30本、100打点」を達成し、MVP、川上が最多勝、岩瀬は史上初2年連続40セーブ以上、山本昌が41歳でノーヒットノーラン。平成ドラゴンズ最強の1年といっていいだろう。日本シリーズは日本ハムに敗れた。

 翌07年、一度はマジック7を点灯させるも2位。しかしポストシーズンを勝ち上がり、日本シリーズでは日本ハムを破って53年ぶりの日本一となった。シリーズMVPは育成契約から這い上がった中村紀洋。第5戦の9回、完全試合ペースだった山井大介から岩瀬につないだ“完全試合リレー”は物議をかもした。
 
 福留がメジャー移籍で抜けた08年は3位。09年は川上、T.ウッズ、中村紀らが抜けたものの、吉見一起が16勝で最多勝。チェンが最優秀防御率、ブランコが本塁打王、打点王を獲得したが2位で終わっている。

 10年はセットアッパー・浅尾拓也、クローザー・岩瀬のコンビがコマ不足の先発陣を支え、打線では和田一浩が打ちまくって優勝奪回。CSも勝ち上がったが、日本シリーズではロッテに敗れた。翌11年は序盤出遅れ、8月には一時5位に落ちたが、少しずつ巻き返し2位に浮上。しかし9月22日からの首位ヤクルト4連戦の前に落合監督が退任を発表。その後、ナインが奮起し、逆転優勝を飾る。史上初めて中継ぎの浅尾がMVPとなった。日本シリーズではソフトバンクに敗れた。

 翌12年は、復帰した高木守道監督の下、2位となったが、翌年以降は低迷。監督は高木から谷繁元信(兼任から専任)、森繁和と変わるも、ずっとBクラスが続いている。当初は落合竜時代の長い黄金時代で世代交代が滞ったと言われたが、もはや6年だ。言い訳にはならない。19年は与田剛監督が就任。果たして、強竜復活はなるか。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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