昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ヒゲ辻の始まり
今回は『1966年12月5日号』。定価は60円だ。
1966年11月16日、帝国ホテルで行われたプロ野球オーナー会議で、東映・大川博オーナーより、1リーグ制移行の提案があった。
もともと10月22日のオーナー会議で西鉄から提案される予定だったが、意図的かどうか巨人、サン
ケイ、阪急、近鉄、
広島のオーナー欠席により、懇親会に切り替えられ、延期となっていた。
事前の情報によればパは全球団が賛成、逆にセは全球団が反対を表明すると言われたが、ふたを開けると、パでは東京、阪急が反対に、逆にセの広島、大洋が賛成に回ったといわれる(公式発表はない)。
大川オーナーは球団経営の苦しさを訴え、10球団での1リーグ制を現在の日本経済の中での等身大のプランとして提案。一方、東京・永田雅一は「もうからないからと言って、せっかくつくった2リーグ制をやめてどうする。もう一度みんなが知恵を絞り、努力してこの危機を乗り越えるべきではないか」と猛反対した。
この年、黒字を出したのは巨人、
中日、サンケイの3球団のみ。
1リーグ制への動きは、観客動員やテレビ放映権料で巨人の「一人勝ち」状態が顕著になる中、すでに上向きにはなっていたが、65年の証券不況各社も影響し、親会社が球団経営の見直しに乗り出したことが背景にある。
さらに、これまで親会社が球団の赤字補填のための費用を厚生費、宣伝費など、いろいろな名目をつけ、経費で処理してきたものに、国税局が目をつけ、課税対象として検討を始めたこともあったといわれる。
球団別の動きもある。近鉄は独自に広島に合併を持ち掛けたが、広島から「時期尚早」と断わられ、西鉄は巨人と組んでセ・リーグ入りを模索していたという。
考えてみると、戦力均衡のためではなく、この球団の危機感が、新人補強費を大幅に削減するドラフト制度導入につながった。
いつの世も、物事の裏側にはお金があるということか。
こぼれ話を。
阪神の安芸秋季キャンプで、捕手の
辻佳紀がヒゲを伸ばし始めた。
「一人ぐらいチームに変わったのがいてもいいでしょ。絶対にそらんですよ」
聞くと、来日したドジャースの捕手ローズボロ(初出訂正)にあやかってという。
「あの人のプレーには感心させられることが多かった。すぐにあれぐらいの実力がつくわけではないが、まずはヒゲから真似ようと」
ヒゲ辻、誕生秘話だ。
では、また月曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM