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パンチ佐藤の漢の背中!

元横浜・下窪陽介氏は現在、“地下アイドル?”の評判高い販売担当/パンチ佐藤の漢の背中!「2」

 

甲子園の優勝旗を初めて鹿児島県に持ち帰ったエースはプロ野球を引退し、現在は国内2位のお茶の生産量を誇る鹿児島県から家業の「お茶」をPRしている。「現役を引退してから別のお仕事で頑張っている元プロ野球選手」をパンチさんが直撃する対談連載、今回は元横浜の下窪陽介さんにお話をうかがいました。

1カ月のうち3週間は出張販売に出かける毎日


パンチ佐藤(左)、下窪陽介氏


 下窪さんの実家が営む『下窪勲製茶』は祖父・勲さんが1972年に創業した。

 鹿児島・薩摩半島の南側、標高200メートルの丘陵に広がる、広大な茶畑。葉肉の厚い元気な一番茶を深蒸しした、自園自製のこだわりのお茶だ。現在は2代目の父・和幸さん、3代目の兄・健一郎さんを中心に、自慢のお茶を全国に届けている。4代目(?)陽介さんは「地下アイドル」の評判高い、販売担当。その仕事ぶりに、パンチさんが切り込む。

パンチ さて、今は「下窪勲製茶」の社員として、どんな仕事をしているんですか。

下窪 営業担当ですね。デパートなど催事場や物産展で、自社製造のお茶を販売しています。それ以外の日は、茶畑の手伝いです。

パンチ 営業の楽しさ、難しさはどんなところに感じているの?

下窪 自分の仕事は販売なので当然接客をしなければならないんですが、最初は変なプライドもあって、なんで俺がお客さんに「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」と言わなければいけないのか、と恥ずかしく、何も声を掛けられなかったんです。だけど会社のためには売り上げが絶対条件。「これではダメだ」と思い、周りの店員さんのやり方を見て、笑顔で声掛けして、接客して……ということが、だんだんできるようになりました。

パンチ そういうふうにできるようになったのは、始めてからどのくらい?

下窪 今みたいにできるようになったのは、1年後くらいです。

パンチ 早くはないけど、遅くもないね。良かったね。今、お茶ってブームが来ているの?

下窪 はい、来ていると思います。ウチの緑茶は「知覧茶」というブランド茶なんです。この「知覧茶」が、最近よくテレビで取り上げられるようになりました。

パンチ 鹿児島の知覧といえば、特攻隊の出撃地だったところじゃないか。俺は日本人として、一度は行かなきゃと思っていたんだ。その知覧茶って、どんな特長があるの?

下窪 まず見た目にグリーンの色が濃いんですよ。甘味が強くて渋みが少ないのが、知覧茶の特長です。

パンチ 今日はその販売で東京に来たんだよね。どういうペースで出張しているの?

下窪 だいたい1カ月のうち3週間くらいは東京です。今回は9日間、横浜の上大岡という駅の京急ストアで九州展がありまして、そこで販売しています。

パンチ ほかにはどんなところで販売しているの?

下窪 デパートだと高島屋さん、日本橋三越さんなどですね。

パンチ 九州展みたいなときに来るわけ?

下窪 ウチの会社はまだそういった催事に出始めて3、4年なので。上階でやる催事には20年くらいの方々が出るんです。自分たちは地下販売のほうですね。

パンチ 販売場所はどうやって決まるの?

下窪 自分の営業です。初めはなかなか、高島屋さんとか入れないんです。それでどうやったら入れるんだろうと思ったら、やはり人脈。もともと入っている催事屋さん、例えば魚屋さんとかに話をしに行って、仲良くなる。そこで紹介していただいて、入れてもらいます。

パンチ やっぱり人と人なんだね。「端っこでもいいから……」なんてそういう姿勢を見たら、「しょうがねえな、今回は入れてやるか」ってなるよねえ。販売のテクニックやコツはどんなもの?

下窪 お客様にまず、挨拶。朝なら「おはようございます」としっかり挨拶すると、皆さんすごく笑顔になって、「飲んでみようかな」という感じになってくださいます。

パンチ そこで「どうですか」と言って、あの小さな紙コップで勧めて。

下窪 だいたい皆さん、「知覧茶飲んだことあるよ」っておっしゃるんです。そこで、「ウチは生産者で、また違った味なので、ぜひ飲んでください」と言います。

パンチ そうか、知覧茶といっても、いろんな作り手さんがいるんだな。そこで勝ち残るために、どういうふうに頑張っているの? 「なんとかの知覧茶」って付けられないの?

下窪 付けています。例えば『農家直出し知覧茶』とか『深蒸し知覧茶』とか。ウチの父の名前を取って、『和幸さんちのお茶』とか。

パンチ 深蒸しと普通のとはどう違うの?

下窪 深蒸しのほうが色と味は濃く出ます。強く蒸すと渋みを抑え、薫りや旨みが出るんですよ。今煎れますから、パンチさんもぜひ飲んでみてください。

パンチ おおっ、マイ急須って初めて見たよ(笑)。直接淹れないほうがいいの?

下窪 湯さましを使うと、10度くらいお湯の温度が下がると言われているんです。そのくらいの温度のほうが、渋みが減って、お茶の味がバランスよく出ます。

パンチ お茶を愛している人の淹れ方だよねえ。

下窪 これもずいぶん兄に鍛えられました(笑)。父は何も言わなかったんですけど、兄貴にはひたすら怒られました(笑)。このお茶の香りも嗅いでいただけると……。

パンチ 本当だ、しっかり香ってる。お茶のいい香りがするよ。じゃあ、お父さん、いただきます。(お茶を飲んで)香りはしっかりガツンと来るんだけど、苦くないね。おいしいなあ。歌手で言うと、誰だろう。力強い感じに見えて、意外と繊細な……山本譲二さんかな。吉幾三さんと結構ふざけ合ってるけど、歌い方は本当にきれいで繊細なんだ。鹿児島じゃなくて、山口の男だけど(笑)。

下窪 (笑)。

職人たちを信頼しているから自信をもってお茶を売れます


丁寧にお茶を淹れる下窪氏(右)


パンチ この仕事と野球との共通点ってある?

下窪 体力が必要ですね。新茶の時期になると、1日中作業をしています。自分は職人ではないですが、ウチの父や兄をはじめ、製造に関わっている人たちは神経も使うし、眠れないんじゃないかと思います。茶摘みは自分の目で確かめて摘む時期を変えますし、蒸すときもお茶を触って硬いか柔らかいかで、蒸す温度を変えるんですよ。茶摘みは一日でも遅くなると、味が変わってしまいます。

パンチ お茶ってやっぱりデリケートなんだね。

下窪 そういう仕事ぶりを見て信頼しているから、自分が売りにいくときも自信をもって売れますね。

パンチ いいねえ。親父さんを尊敬しているのはどんなところ?

下窪 本当に職人なんですよ。毎朝5時くらいに起きて、必ず全部の畑を自分で回るんです。どこがどうなのか、すべて自分の目で確かめる。そこがすごいなと思います。僕らにはできません。うちの茶畑、40町近くあるんですよ。

パンチ 40町って、横浜スタジアム何個くらい?

下窪 30個くらいでしょうか……。1反が50メートルの12列。それが10個で1町です。それを全部見回って、朝のミーティングで「あそこ、ちょっと崩れてたから気をつけろよ」とかぽつっと言うんです。

パンチ 俺、「コツコツ」って好きな言葉なんだ。毎日同じようなことをしていても、同じ日はないでしょう。お父さんも毎日お茶と話をしているんだね。「昨日寒かったけど大丈夫か」「風が強かったけど大丈夫か」って。

下窪 自分で飲んでみてから、納得いくものだけ市場に出すんです。だから、ウチの父は家ではそんなにお茶を飲まないんですよ。

パンチ この仕事をやっていて、楽しいな、うれしいなと思う瞬間は?

下窪 やっぱりお客さんに「おいしいね」と言っていただく、その言葉だけで僕はうれしいです。例えお茶自体が売れなくても、「あなたのうちのお茶はおいしいね」と言っていただけたら、それだけで十分。ありがたいなと思います。

パンチ 今の言葉を聞くと、野球からは気持ちよく切り替えられたような感じだね。

下窪 そうですね。なんだか……失礼な言い方ですが、野球をやっていたときは、「野球選手が一番」と自分の中で思っていたような部分がありました。だけど別の世界に行けば、その世界でもこうやって稼げるんだなということが自分の中で分かって、この仕事も楽しいなと思うようになりました。

パンチ 気付いたねえ。今年の夢は?

下窪 僕は販売なので、売り上げで決めて行っているんです。昨年を2としたら、今年は1プラスして3くらいになるようにしたいと思っています。あとは、お茶で日本一になることですね!

パンチの取材後記


 今やそのコミュニケーション力で、デパ地下を訪れるご婦人方に人気を誇る、通称“地下アイドル”となった下窪君。僕は今回初めて話をしましたが、言葉の端々に「俺はお茶で勝負するんだ!」「もうプロ野球界からは吹っ切れた!」という彼の思いを感じました。

 実際に目の前でお茶を淹れてもらったのも良かったですね。お茶のおいしさはもちろん、下窪君がお父さんやお兄さん、職人さんたちが魂を込めて作ったお茶を本当に丁寧に扱っているな、お茶を愛している淹れ方だな、ということが伝わってきました。『下窪勲製茶』のお茶販売に、今は真剣勝負をかけているんですね。あの淹れ方を見て、第二の人生、間違いなくうまくやっていけるだろうな、と感じました。

 これからまだまだ勉強することはあると思いますが、野球と同様、一つひとつ自分のものにしていって、いつかお父さんやお兄さんに認められる、四代目になってくれるでしょう。

 先日、横綱・稀勢の里が引退したとき、後援会長か誰かが「これからは人生の横綱を目指してほしい」と言っていました。本当に素敵な言葉だと思います。僕らも野球が終わってからのほうが長い。下窪君も、今度はお茶の世界で“全国制覇”目指そうな!!

<「完」>

●下窪陽介(しもくぼ・ようすけ)
1979年1月21日、鹿児島県出身。鹿児島実高ではエースとして96年のセンバツで優勝、夏も甲子園ベスト8に進む。日大進学後、外野手に転向。日本通運を経て、大学・社会人ドラフト5巡目で07年横浜に入団。背番号9を与えられ、1年目から開幕一軍入りして77試合に出場したが、10年限りで引退。通算成績は96試合、打率.238(34安打)、0本塁打、10打点。現在は故郷・鹿児島に戻り家業の「有限会社下窪勲製茶」社員。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。

構成=前田恵 写真=山口高明
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