昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 東映ブラジル遠征で罵声
今回は『1967年1月2日号』。定価は60円だ。
この連載は1958年の創刊号からスタートだから10年目に突入。創刊第462号の紹介となる(プロ野球以外の増刊は紹介していないので、連載回数はこれより少ない)。
2019年プロ野球は初夏の決戦となっているが、この号はオフ、真っただ中だ。
自家用車を購入する人が増え始めた時代、プロ野球選手の車事情について特集があった。
高級車組では巨人・
金田正一が、クライスラー・インペリアルに乗っていたが、これを少し安めのベンツのスポーツカーに買い替えた(金田は自分で運転せず、運転手を雇っていた)。
巨人では、ほかに
長嶋茂雄はフォード・サンダー
バード、
王貞治はビュイック・スカイラーク、
城之内邦雄がジャガー、
柴田勲がフォード・ムスタング。外車ばかりだが、当時の国産車は小型車が主体だったこともある(もちろん、
広島はマツダばかり)。
外国人選手は、いつ契約が切れるか分からないこともあってか、あまり車におカネをかけなかったようだ。
阪神のバッキーは特に倹約派(ケチ)だったようで、ずっと64年の日本シリーズの賞品でもらったバイクを乗り回していた。ナインから「阪神のエースなんだし、車の1台くらい」と勧められても、「僕はサラリーが安いので、車なんか」と言って顰蹙(ひんしゅく)を買っていた(本当はチームトップクラスの高給取り)。
しかし阪急の
スペンサーがバイクで事故を起こしたこともあって、15万円の国産中古車を購入。ボディの塗り替え、シートカバーの張替はサービスでやらせたというから抜け目ない。
ただ、ドリス夫人は「狭いし、すぐ
エンストするから」と車の同乗を敬遠していたとか。
西鉄のバーマ(
ジム・バーマ)はさらにすごい。56年型のトヨペット。これがまさにポンコツ車だった。スタートの際には毎度、バリバリッと轟音が響き、もくもくと煙が立ち上った。
このバーマが交通事故を起こした。急停止した前方車両への追突だったが、相手はプロ野球選手と知って高額の賠償をふっかけてきた。
バーマは、
「いきなり急停車したあなたが悪い。それにあなたの車は俺のオンボロ車に当てられてもびくともしなかったではないか。それに引き換え、俺のオンボロ車はこの事故で動かなくなるだろう。もうおしまいだ。俺は悲しい」
と一歩も譲らず、賠償金も払わなかったらしい。ちなみにオンボロ車は、その後も使っている。意外と丈夫だったか。
東映がブラジル遠征から帰国した話は前回書いたが、かなり寂しい遠征だったらしい。
メジャー選手も入ったチームやパナマのプロ球団相手に7勝8敗。勝敗はまだいいのだが、選手にまったくやる気が感じられなかったようだ。
初戦は在留邦人たちが集まり、3万人を超える大観衆だったが、最終戦は700人。
球場では「それでもプロ野球選手か」「日本人のツラ汚し」「日本に帰ってしまえ」など辛辣なヤジが飛び、
毒島章一主将も「あのヤジはすごかった」とこぼしていた。
確かに選手に観光気分もあったようだが、慣れない暑さと、食事に黒山のようにハエがたかる中、かなりバテていたことも間違いない。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM