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プロ野球回顧録

【平成日本ハム年代記】強力打線の東京ドーム時代から北海道で黄金時代を築く

 

巨人と同じ後楽園、東京ドームが本拠地だった時代から2004年、本拠地を北海道に移す。さらに同年、メジャーから復帰した新庄剛志(SHINJO)の存在が変革につながった。楽しく、自在。だが、勝たなければ面白くない。SHINJO哲学が浸透した06年の日本一からファイターズは北の大地で、独自の王国をつくり上げていくことになる。

ビッグバン打線で優勝戦線かき回す


98年はビッグバン打線で前半戦を独走したが……


 1989年、平成元年は“マジシャン”と呼ばれた近藤貞雄監督が就任。新人の中島輝士の開幕戦サヨナラ弾もあったが、5位。続く90年は柴田保光西崎幸広松浦宏明、新人・酒井光次郎武田一浩と2ケタ投手が5人で、勝率も.512ながら4位に終わっている。91年も4位だが、今度は打撃不振が響き、借金生活。92年は土橋正幸監督が就任も低迷が続き5位、1年で退任となった。

 93年は、球団重役となっていた81年のV監督・大沢啓二が指揮官復帰。黄金時代の西武打倒に燃え、勝っても負けてもユニークな発言が話題となった。打線では片岡篤史広瀬哲朗らが活躍。投げては西崎、白井康勝、武田が2ケタ勝利を挙げ、2位に食い込んだ。ただ、翌94年は急失速し、最下位。大沢監督は退任。最後、東京ドームのマウンドで土下座し、客席のファンに詫びた。

 95年は阪急の名将・上田利治が就任も4位。投手陣の柱はグロスで31試合に登板し、完投15、17勝。打っては四番に座った田中幸雄が打点王に輝いた。翌96年はエース・西崎幸広を軸とした先発陣から島崎毅金石昭人とつなぐ勝利の方程式が確立し、打線も好調。前半戦は首位を走るも、後半急失速し2位に終わった。巨人を自由契約になった落合博満が加わり話題となった97年は、開幕6連敗スタート。投手陣の不振もあって4位だった。

 田中、片岡、ブルックス、ウィルソン、西浦克拓らが並ぶ強力ビッグバン打線で勝ちまくったのが、98年だ。前半戦を貯金21、2位の西武に8ゲーム差で折り返したが、8月に入り9連敗など急失速し、2位。オールスターまでの勝率が.630ながら後半は.314(打率は.292から.216)と別のチームのようだった。翌99年は新外国人フランクリン、“バントをしない二番打者”小笠原道大の活躍もあって一時は上位に食い込むも、投手陣が安定せず5位に終わり、上田監督は退任。

 大島康徳が監督となった2000年は、序盤に首位に立つ健闘を見せ、3位に。小笠原、オバンドー、片岡、ウィルソンと4人が80打点以上の強力打線を誇ったが、投手陣が今一つだった。翌01年は片岡、オバンドー、ウィルソンが開幕早々から故障離脱で7年ぶりの最下位。195安打の小笠原の孤軍奮闘が目立った。続く02年には、04年からの札幌移転が決定。親会社の牛肉偽装問題などグラウンド外がにぎやかだった。Bクラス5位に終わったが、小笠原が首位打者、3年目の左腕・正田樹が新人王となっている。

 東京ラストイヤーの03年は、ヒルマン監督就任。5位には終わったが、2年連続首位打者となった小笠原を三塁にコンバート、若手起用も目立つなど、「東京ファイターズ」から「北海道ファイターズ」へ変貌する準備期間ともいえたシーズンだ。

ダルビッシュ、大谷らが引っ張り優勝争いの常連へ


16年優勝を支えた大谷がリーグ優勝の胴上げ投手に


 04年、北海道移転元年にギフトが届いた。メジャー帰りの新庄剛志(登録名はSHINJO)だ。打率.298のバット、天才的だった走塁、外野守備だけでなく、派手なパフォーマンスと明るいキャラクターで、瞬く間にチームを新庄色に染め、3年連続Bクラス脱出の原動力になった(3位)。翌05年はケガ人の続出もあって4位。喫煙による謹慎もあって出遅れた新人・ダルビッシュ有が、6月に一軍入り後、6勝をマークしている。

 06年は西武、ソフトバンクとの三つ巴の争いを制し、1位通過(この年までの規定による)でプレーオフへ。精神的支柱となったのは、4月8日、試合後のヒーローインタビューで突然引退を発表した新庄だった。若手投手陣の台頭も目立ち、2年目のダルビッシュ、新人・八木智哉がいずれも12勝を挙げた。プレーオフでは第2ステージでソフトバンクを下し優勝。日本シリーズでは中日を倒し、東映時代の62年以来44年ぶりの日本一で新庄引退に花を添えた。

 新庄に加え、06年の本塁打王、打点王の小笠原がFAで巨人に移籍した07年だが、盤石の守備陣と15勝を挙げた若きエース・ダルビッシュを軸とした投手陣、さらには首位打者の稲葉篤紀を筆頭につなぎに徹した打線でしぶとく勝ち抜き連覇を飾る。CSでもロッテを下したが、日本シリーズでは中日に敗れている。

 梨田昌孝新監督を迎えた08年は3位に終わったが、ダルビッシュが16勝とさらなる成長を見せた。CSでは第1ステージでオリックスを破るも第2ステージでは西武に及ばなかった。翌09年は高橋信二糸井嘉男金子誠、稲葉と4人が打率3割超え。投げては故障で離脱がありながら15勝を挙げたダルビッシュが光って2年ぶりの優勝。CSでは第2ステージで楽天スレッジの逆転サヨナラ満塁弾などで下して日本シリーズ進出も、巨人に2勝4敗。翌10年は4位に終わった。

 ハンカチ王子・斎藤佑樹の入団した11年は先発陣の踏ん張りで2位。ダルビッシュは18勝、5年連続防御率1点台をマークし、メジャーへ渡った。

 コーチ経験なく就任した栗山英樹監督の下、12年はまさに全員野球で頂点に立つも、日本シリーズではまたも巨人に敗れている。13年は二刀流に挑む新人・大谷翔平が話題になったが、最下位。14年はその大谷が11勝、10本塁打をマーク。野手陣も43盗塁の西川遥輝ら機動力が光ったが、3位。CSでは第2ステージで敗れた。15年は大谷が最多勝、最優秀防御率を手にし、2位。CSでは第1ステージでロッテに敗れた。

 迎えた16年は大谷の投打にわたる活躍と夏場の連勝もあって優勝。日本シリーズでは広島を破った。大谷は17年のシーズン後、ポスティングでエンゼルスに移籍している。

写真=BBM
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