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週べ60周年記念

人たらしの巨人・牧野茂コーチ/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

川上監督の「建前」と「本音」


表紙は左右が巨人長嶋茂雄王貞治。中央上から南海・野村克也、巨人・堀内恒夫、東映・尾崎行雄



 今回は『1967年2月27日増大号』。定価は70円、恒例の選手名鑑号だ。

 巨人キャンプは多摩川組が宮崎に合流。本格的になってきた。
 この後、6年ぶり2度目のベロビーチ・キャンプがあるが、参加人員は26選手。選考の行方がマスコミでも話題になっていた。
 
 巨人V9時代と言えば、作戦参謀・牧野茂コーチの貢献は欠かせないが、今回は、その人物クローズアップがあった。
 もともと中日にいた人物なので、最初ははっきり言って“スパイ”呼ばわりだった。それが川上哲治監督の信頼を得て、急激に評価が上がっていた。

 牧野と合わなかったのが、62年限りで巨人を退団した別所毅彦(当時コーチ)だ。
 その弁。
「僕が鬼軍曹とか言われ、選手に憎まれたが、これはカワさんに言われてやったことなんですよ。選手に一つ気合を入れてくれと。僕もこんな役は嫌だから(昭和)37年のキャンプで、今年は悪役を牧野に変えてくれ、と言って、カワさんも承知してくれたんだが、牧野が2日で音をあげて、結局、また僕がすることになった、僕の馬鹿正直が結局、命取りになったね」
 
 長い記事なので、すべては書かないが、川上監督は「建前」と「本音」がある指揮官で、それをすべて真に受けた別所と、軽やかに受けた牧野の差もあったようだ。

 川上は広岡達朗に対してのように、自分に逆らう人間には厳しかったが、かといって決してイエスマンを求めていたわけではなかった。

 あくまで雑談だが、こんな会話もあった。宮崎キャンプで途中から雨が降ったが、川上がそれを予想し、あらかじめ練習プランを変えていたときのことだ。

牧野「監督の勘は素晴らしいですな。われわれにはまねできません」
川上「君もオーバーだな。俺はただ朝の天気予報を信用しただけだよ」
牧野「なんだそうか。つまらない。ほめるんじゃなかった」
 まさに人たらしである。

 ついでに大和球士氏のコラムから長嶋茂雄とのやり取りを。
「大洋の別当薫コーチが長嶋君を超人と形容したっけ」
「へえ、それは初耳ですけど、打撃の神様よりは頂戴しやすい言葉じゃないかな」
「なるほど、打撃の神様が固辞するが、超人ならそれをありがたくお受けするという話?」

 ここで長嶋。
「だって似てるでしょ。僕はもともとチョーさんと呼ばれています。チョーさん、チョーじん、ハッハハ」

 では、また月曜日。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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