昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 吉田義男、藤田平の定位置争い
今回は『1967年3月13日号』。定価は60円。
前回も触れたように、2月19日の発表でベロビーチ行きメンバーから漏れた巨人2年目の
堀内恒夫。
メンバー発表の後、報道陣が騒いだため、急きょ堀内本人の会見もあったようだ。
「ショックです。腰痛が落選の原因と聞いています。腰の痛みはキャンプ以来のもので、まだ取れません」
川上哲治監督は、
「堀内は腰が痛くてピッチングをしていない。ピッチングできない者をつれていっても仕方ないでしょう」
と説明した。
詳しい状況は分からないが、腰痛の状態を隠しながら自分のペースでやっていた堀内が、コーチ陣からは「やる気のない」と映っていたのは確からしい。
堀内自身は暖かいベロビーチに行けばなんとなるはず、と軽く考えていたようだ。
傷心の堀内は、その後、街に出て、映画「喜劇駅前競馬」を見てから、すし屋で酒を飲み、宿舎に戻ったという。
「酒はほんの少しです。寿司は20か30くらい食べました」
なお、堀内はまだ未成年である(このパターン、何度目かあった)。
阪神の安芸キャンプでは、15年目の
吉田義男と2年目の
藤田平の遊撃手争いが激化。周囲からは「異常なくらい」と言われていた。
練習後の個人ノックでも2人が並んでやるのだが、終わった後、吉田が「あと100本頼む」と要求すると、藤田は「あと150本」。
当然、吉田が先に終わるのだが、藤田がやっている間は、「もう一丁」が続き、やめようとしない。
ついには藤本定義監督が「吉田、そんなに練習してどうするんだ。14年間も毎日やってきたんじゃないか」と言ってきた。
吉田自身は、「僕はセカンドでもいいですよ」と言っているが、本心は違うだろう。
近鉄の明石キャンプでは2年目の左腕・
鈴木啓示の評判がいい。訪れた解説者も口々に「20勝は確実」「いや、25勝はいくのでは」と話していた。
小玉明利監督も「いまの調子から言えば、うちの開幕投手はスズだろうね」と断言していた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM