昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 堀内恒夫は球拾い
今回は『1967年3月20日号』。定価は60円。
現地時間3月1日午前10時からベロビーチでの巨人キャンプ始動。気温は30度と夏のような暑さだ。
現地ファンが驚いたのが、
王貞治の打撃練習。鋭い打球音で場外弾を連発。地元ファンは「あんなに飛ばすのがメジャーでもほとんどいない」と驚いていた。
残留組は多摩川で練習。メンバー漏れで騒動になった
堀内恒夫は球拾いや軽いランニングのみ。
記者の「今となってはベロビーチに行かなかったほうが堀内さんのためになったかもしれないですね」という問いに対し、
「宮崎のキャンプでは、僕が腰が痛いと言ったら、やれシャミセンだの、弁解だの言われましたが、これで、あれが僕の言い訳ではないことが分かってもらえたと思います」
とややずれた答え。それだけスポーツ紙にたたかれたことが悔しかったのか。
阪神キャンプでは新人・
江夏豊の評価が上がっていた。紅白戦では3日連続3イニングずつ投げたのだが、合わせて10奪三振。先輩・
村山実も「確かにスピードの乗ったいい球を投げている」と感心していた。
心臓の強さも話題に。紅白戦の初マウンドではウォームアップの時間が来ているのに、ベンチで弁当をばくばく。捕手の
辻佳紀に「いつまで食ってるんだ」と怒鳴られて、ようやく腰を上げていた。
だが本人は言う。
「僕を心臓男という人がいるが、とんでもないことです。僕はそうみられるのが不思議でならないんですよ」
大洋では
三原脩監督が日本球界初の「秘密練習」を行った。3日間の午前中だけだが、球場から報道陣をシャットアウトし、サインプレーの確認を行った。
サインプレーといえば、巨人のイメージがあったが、三原監督は否定。
「うちが35年(1960年)に優勝したとき、サインプレーを盛んに使って成功した。巨人はいま、それをまねているだけだ」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM