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プロ野球回顧録

【平成ヤクルト年代記】人気優先の燕を強豪に変えた「野村ID野球」

 

1989年まで指揮を執った関根潤三監督の下、若い選手たちがアイドルのような人気を誇ったチームだった。そこで90年から監督となったのが、ボヤキの知将・野村克也。しかし、“ID野球”は彼らの明るさを消すことなく、したたかさを植え付けた。野村監督退任後、優勝の頻度は落ちたが、個性が光るチームカラーは大きく変わらない。

1990年代に4度のリーグV、3度の日本一


92年、リーグ優勝祝勝会の左から池山、広沢のイケトラ・コンビ


 1989年、平成元年のツバメたちは、主力選手がド派手な三振ショーを演じた。池山隆寛が141、パリッシュが129、広沢克己は125三振で、これが5年連続100三振以上。来日1年目のパリッシュは42本塁打でホームラン王を獲得するなど、それぞれ長打はあったが、これでは戦いは安定せず、4位。投手陣では内藤尚行が12勝8セーブとブレーク。笘篠賢治は32盗塁で新人王となっている。

 野村克也新監督となった90年は広沢、池山、角富士夫がいずれもプロ初の打率3割。新人捕手・古田敦也がゴールデン・グラブ賞。2年目の川崎憲次郎の12勝を筆頭に新人・西村龍次、内藤、宮本賢治が10勝。巨人戦7勝19敗が響き5位ながら手ごたえはあった。

 91年は前半戦の台風の目になる。6月9日から12連勝で、首位にも立った。8月に7連敗、9月に6連敗もあったが、11年ぶりAクラスの3位。盗塁阻止率.578が光った古田は、中日落合博満を4毛上回り首位打者に。投手は西村が15勝、川崎が14勝で軸に。

 92年は「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせる」という野村監督就任時の言葉どおりの戦いとなった。前半戦は首位巨人に僅差で3位。その後、首位に立ったが、9月5日から1分けはさむ9連敗で首位阪神に3.5差をつけられた。しかしここから這い上がり、10月6日からの阪神との神宮2連戦は岡林洋一の完封と1対3からの逆転で連勝し、10日、敵地甲子園で優勝を決めた。ハウエルが首位打者&本塁打王、飯田哲也の27回連続盗塁成功もあった。日本シリーズは初戦、杉浦亨の代打満塁サヨナラ本塁打、3試合完投(1勝2敗)の岡林の力投はあったが、西武に及ばず。

 続く93年は5月中旬に5位と出遅れたが、新人・伊藤智仁の快投が押し上げた。故障もあって7月4日が最後のマウンドとなったが、7勝2敗、防御率0.91で新人王。その後、中日とのデッドヒートになったが、9月28日からの破竹の11連勝で振り切った。ハウエルは2カ月で5本のサヨナラ本塁打の勝負強さを見せ、広沢が打点王、3年連続打率3割の古田がMVPに輝く。日本シリーズは西武を今度は4勝3敗で制した。

 翌94年はペナントの大本命と言われるも4位、古田が右手人差し指骨折で長期離脱、ほかにも主力も故障者が相次ぎ、野戦病院のようだった。広沢、ハウエルが巨人へ移籍した95年は、阪神から移籍のオマリーが打ちまくり、テスト入団したブロスが最優秀防御率、近鉄から移籍の吉井理人も2ケタ勝利と新戦力が活躍し、優勝。日本シリーズではイチローを擁するオリックスを下し、日本一に。96年は投手陣の故障もあって連覇はならず、4位に終わった。


個性尊重の明るい野球で2000年代は2度頂点に


2001年日本一。若松監督の高すぎる胴上げも話題に


 野村ID野球の完成形とも言われるが97年だ。開幕戦、広島を自由契約になって入団した小早川毅彦が、前年の王者・巨人のエース、斎藤雅樹から3打席連続本塁打で勢いに乗った。石井一久、ホージーの活躍で加速。横浜が追いかけてきたが、9月2日、石井がノーヒットノーランで跳ねのけ、そのまま優勝。日本シリーズでも西武を寄せ付けなかった。98年は4位。野村監督は退任し、翌年から阪神監督となる。

 99年は若松勉監督で4位。2000年は中継ぎの五十嵐亮太から高津臣吾につなぐパターンが確立し、巨人に次ぐ2位につけていたが、後半失速し、3年連続の4位となった。

 勝利数で優勝決定となる01年は投手陣では藤井秀悟前田浩継入来智ら伏兵が奮闘。打線ではペタジーニを軸に規定打席に8人が到達する安定の戦力で優勝した。日本シリーズでは近鉄を圧倒し、日本一になっている。02年は2位ながら首位巨人には11ゲーム差。石川雅規が12勝で新人王に輝き、ホッジス17勝で最多勝。03年は四番に座ったラミレスが本塁打、打点の2冠も4位だった。04年は2位。岩村明憲が球団タイ記録の44本塁打、新クローザー五十嵐が最優秀救援投手に輝いた。05年は4位。2年目の青木宣親が202安打で首位打者、新人王になっている。

 古田が選手兼任監督となった06年は3位。リグス、ラロッカ、ラミレス、青木を擁す打線は猛威を振るったが、投手陣に故障者が出たのが響いた。07年はグライシンガーが最多勝、青木が首位打者、ラミレスが最多安打も最下位。古田は監督退任、現役も引退した。

 高田繁監督となった08年は5位。09年は館山昌平が16勝で最多勝。故障者も出たが3位に食い込み、初のCS出場を果たすも、第1ステージで中日に敗れた。10年は序盤から低迷し、9連敗の5月26日の試合後、高田監督が休養を発表。小川淳司監督が代行となって巻き返し4位に。青木が3年ぶりの首位打者、11連勝もあった石川が13勝を挙げている。

 11年は前半戦、バレンティンの爆発もあって一時は2位に8ゲーム差の首位に立つが、8月に失速、最終的には2位に終わり、CSでは第1ステージで巨人を破ってファイナル進出も中日に敗れた。12年も3位。CSではファーストステージで中日に敗れた。翌13年は最下位ながらバレンティンが日本新の60本塁打。小川泰弘は16勝で最多勝、新人王に輝く。14年はまたも最下位で小川監督は退任した。

 15年は真中満監督で優勝。川端慎吾が首位打者、盗塁王の山田哲人はトリプル3を達成した。16年は山田が2年連続トリプル3も5位、17年は最下位で真中監督は退任。小川監督復帰の18年は2位。山田は3度目のトリプル3に輝く。
 
写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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