昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 正力オーナーのリーグ再建案
今回は『1967年4月10日号』。定価は60円。
1967年3月25日、ベロビーチ帰りの巨人が後楽園で初のオープン戦を行った。相手は、ハワイ帰りの東京(現
ロッテ)。初戦の先発はベロビーチ落選組の2年目右腕・
堀内恒夫だ。4回無失点の好投だった。
メジャー・キャンプを経験したことで、「大リーグで学んだ戦術」が期待されたが、それは特になかった。「疲れも残ってますし、少しずつ」と
川上哲治監督も話していた。
東京のハワイキャンプは、これが4回目になる。新人と入団交渉の際も「うちに入ったらハワイに行けるよ」と言っていたらしい(翌68年の入団だが、
村田兆治氏は「ハワイに行かせてあげるからと契約金を抑えられた」と言っていた)。
永田雅一オーナーは「来年は前半をマウイでやり、最後の10日はベロビーチでやりたい」と話していた。
阪神・バッキーが、初めて自分でグラブとスパイクを買ったという記事があった。
マイカーの話で書いたことがあるが、節約家で知られ、これまで野球用具はアメリカに戻ったとき、人からもらったり、借りたりですませていたらしいが、思い切ってアメリカ製の高級品を買ったらしい。「プロの選手ならだれでもしていることよ」と澄ました顔だが、来日6年目で初めて、となると、なかなかのものだ。
この年のバッキーは、年々腕が下がり気味だったのを藤本定義監督のアドバイスで高くし、キャンプから絶好調。この年から投手コーチになった
川崎徳次は、
「いいね。バッキーが2年間も20勝できなかったことが不思議だ」
と称賛していた。
正力亨巨人オーナーがベロビーチで「フランチャイズの再編」について爆弾発言をした、という記事があった。親会社の仕事内容が偏っているので、それに応じ、リーグをばらけさせたほうがいいという意見だ。
具体的な話はしていないが、巨人のオーナーの発言だけに大きな波紋を呼び、さまざまな可能性について、あちこちで書かれていたらしい。
当時の週べの推測では(あまり根拠はないようだったが)、
セが巨人、東京、
中日、南海、阪神、大洋。
パがサンケイ、東映、近鉄、阪急、
広島、西鉄。
という構想ではないか、というもの。なお、大洋は下関に本拠地移転が前提である。
確かに地域もそうだし、新聞社系のサンケイがパ(ほか巨人、中日)、関西私鉄系の南海がセ(阪神、近鉄、阪急)、映画関係の東京がセ(ほか東映)と親会社の仕事もばらける。ただし、失礼ながらパの人気面が不安だ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM