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プロ野球回顧録

【平成西武年代記】輝ける黄金時代、後期は苦しむも昨季10年ぶりのV

 

平成の西武は栄枯盛衰の時代であった。初期はリーグ5連覇を達成するなど黄金時代を謳歌。その後、王者で居続けることは叶わなかったが、常に首位争いは繰り広げて、たびたび優勝を果たした。しかし、後期は頂点から遠ざかる。昨季の優勝が10年ぶり。平成最後の王者となり、令和に黄金時代復活を懸ける。

1990年からリーグ5連覇。東尾時代の97、98年にリーグ連覇


90年、日本シリーズで巨人を4タテして日本一に


 5連覇を狙った1989年、平成元年は10月に入って近鉄、オリックスとの熾烈なV争いが続いた。9日のオリックス戦には勝利も、12日の近鉄とのダブルヘッダーで、ブライアントに4連発を喫して連敗。近鉄に2厘差で及ばず3位に終わった。

 V奪還に燃える翌90年、投打に他球団を圧倒した。2年目のデストラーデは42本塁打、106打点で2冠。清原和博は37本塁打、94打点、秋山幸二が35本塁打、91打点とクリーンアップが驚異的な破壊力。投手陣では渡辺久信が18勝で3度目の最多勝。8月末には2位・オリックスに16.5ゲーム差をつける大独走で、全球団に勝ち越す完全優勝だった。日本シリーズでも巨人に4連勝を果たした。

 91年は8月28日から9月17日まで2分けを含む12連勝で近鉄を突き放してトップでゴールイン。デストラーデが2年連続の2冠。工藤公康が16勝3敗、郭泰源が15勝6敗と左右のエースとしてチームを支えた。日本シリーズは広島に4勝3敗で2連覇を達成。92年は石井丈裕が15勝、郭が14勝を挙げるなど2ケタ勝利が5人。打線ではデストラーデが3年連続本塁打王に輝くなど8人が規定打席に到達し、8人がベストナイン、ゴールデン・グラブを獲得。リーグ3連覇を遂げ、日本シリーズでもヤクルトを倒し、3年連続で頂点に立った。

 93年はデストラーデが退団。一抹の不安があったが、新人の杉山賢人がリリーフとして新人王に輝いた。潮崎哲也鹿取義隆との「サンフレッチェ」と呼ばれたトリプルストッパーが打撃陣の不調をカバーして4連覇。しかし、ヤクルトとの日本シリーズでは3勝4敗で敗れ去った。この年のオフには秋山、渡辺智男らとダイエーの佐々木誠村田勝喜らとの大型トレードを敢行。94年はリーグ初の5連覇を達成したが、日本シリーズでは長嶋巨人の前に2勝4敗で敗退。森祗晶監督も退任することになった。

 代わって監督に就任したのは東尾修。94年オフには工藤公康、石毛宏典がダイエーへ、96年オフには清原が巨人へFA移籍し、過渡期のチームで若手を積極的に起用した。95、96年は3位に終わったが松井稼頭央西口文也らが台頭。97年には西口が最多勝、最多奪三振、最高勝率などを獲得してMVP、松井が盗塁王を奪取し、大友進高木大成など2ケタ盗塁は7人。チーム盗塁数も200を数え、走ってつなぐ野球で3年ぶりのV奪回に成功した。

 98年は9月19日に116試合目にして初めて首位に立ち、そのときは一日天下だったが24日に再び首位。10月7日に連覇を達成したが、首位の日数はわずか15日だった。松井は2年連続で盗塁王に輝き、MVP。しかし、日本シリーズではヤクルト、横浜に敗れ、日本一を奪うことは叶わなかった。

主力が抜けても次々とスター出現。08年は「埼玉」を冠して日本一に


渡辺監督就任1年目の08年、日本シリーズで巨人を下して4年ぶりの日本一に輝いた


 99年、シーズン前から大きな話題は“平成の怪物”松坂大輔だった。初登板となった4月7日の日本ハム戦(東京ドーム)、8回2失点、9奪三振でプロ初勝利。その後も勝ち続け16勝5敗で最多勝、新人王を獲得した。だが、投手陣は踏ん張ったが、大砲不在でつなぐ野球も不発で、ダイエーに及ばず2位。翌年もチーム防御率は1位もチーム打率、本塁打は6位と打線に迫力がなく、またしても2位でダイエーに連覇を許した。

 01年は大砲不足解消のためカブレラ、マクレーンが加入。それぞれ49、39と本塁打量産も近鉄、ダイエーとのデッドヒートに敗れて3位に終わると東尾監督から伊原春樹監督に指揮官交代。その02年は5月5日以降一度も首位から落ちることなく、2位の近鉄、ダイエーに16.5ゲーム差をつけて4年ぶりの優勝。西武としては初の90勝、14試合を残しての優勝決定と他の5球団を圧倒した。一番の松井はトリプルスリーを成し遂げ、四番のカブレラは当時日本記録タイの55本塁打を放った。

 03年は2位に終わると伊原監督が退任。この年限りで22年の現役生活に別れを告げた伊東勤が新監督に。松井はFAでメジャーへ移籍するも、04年“ポスト松井”の中島裕之が頭角を現した。遊撃手として27本塁打、90打点。チームはシーズンでは2位に終わったが、この年から導入されたプレーオフを勝ち抜き、優勝を果たす。中日との日本シリーズではシーズン1勝だった石井貴が大活躍。先発で初戦、第7戦で勝利投手となり、チームを日本一に導き、日本シリーズMVPも獲得した。

 05年3位、06年2位と優勝を逃すと、06年オフにはポスティングで松坂がメジャーへ。07年は交流戦前の5月9日から6月11日までの約1カ月が3勝23敗で最下位転落。直後の15試合は13勝2敗と盛り返すも、8、9月も負け越し81年以来26年ぶりのBクラス5位に沈んだ。

 チーム名にも「埼玉」を冠した08年は渡辺久信新監督に。中村剛也が本塁打王に輝き、片岡易之は2年連続盗塁王。栗山巧、中島、G.G.佐藤が打率3割とバランスの取れた打線がチームを引っ張り、4年ぶりの優勝。日本シリーズでも激闘の末、巨人を4勝3敗で下し日本一となった。

 だが、ここから優勝とは縁遠くなる。09年4位、10年2位、11年3位、12年2位、13年2位で、14年からは伊原監督が再登板するも開幕から低迷し、6月3日に休養。田辺打撃コーチが代わりに指揮を執るも5位。15年からは田辺監督代行が正式に指揮官となるも2年連続4位。17年から辻発彦監督にチーム再建を託すと2位と躍進。昨年、強力打線を前面に押し出し、10年ぶりの優勝を果たす。CSで敗れ、日本シリーズ進出は叶わなかったが、今季、連覇とCS突破を目指して戦っている。

写真=BBM
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