昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 大杉勝男、母親孝行の理由
今回は『1967年6月5日号』。定価は60円。
1967年5月20、21日のサンケイ戦に連勝し、巨人は11連勝となった。
投手のキーマンは、前年の不振を乗り越え、5勝無敗、34歳のベテラン左腕・金田正一だ。
前年末にはプロ入り初のダウン、しかも25パーセントの年俸ダウンをのみ、ヒジの手術も覚悟したというが、それをせず、この年にかけた。
金田との一問一答もあった。
ヒジ痛については、「炎症があったら、休んでそれが収まるのを待つしかない」と言い切っていた。メジャーのドジャースの名投手、ドライスデールが「ヒジが痛いときは投げたほうがいい」と語ったという話もいうと、「彼は痛くないのだから、ワシのとは違う」とそっけない。
この復活劇とは関係ないが、週べの今週号が『変化球特集』だったので、金田のカーブに関する話を抜粋しておこう。
──変化球を投げてヒジには負担がかかりませんか。
金田 どちらも一緒や。
──芸術品と言われるカーブについて。
金田 説明のしようがないね、これだけは。その人が持って生まれたものだから、こうやってほうれといったって、そのように曲がるもんじゃない。われわれが手を離す瞬間のあれで、そういうカーブになるだけや。
──カーブは何種類くらい?
金田 カーブは一種類や。カーブはカーブという一つの字しかないだろ。ただコースが違ったり、速く曲がったり、遅く曲がったりするだけや。
この人をインタビューしなくてよかった。
ちなみに好調巨人の打の主役は、西鉄から加入した
高倉照幸だった。規定打席には達していないが、打率.406と打ちまくっている(5月22日現在)。
「この年になってファンレターが増えるとは思わなかった。巨人の人気というのは凄まじいね」
と高倉はにっこり。
パ・リーグでは、すぐ落ちたが、5月14日、万年Bクラスの近鉄が首位に立った。これには2年目の左腕・
鈴木啓示の活躍も大きかったが、打線の貢献度も高い。
土井正博.376、
高木喬.357、ボレス.346、
小玉明利.297、
北川公一.288と打率ベスト10になんと5人(15日現在)。
選手兼任の小玉監督は「うちはもともと力がある選手が多い。それが一丸になってやっているんです」と話していた。
東映の
大杉勝男がホームラン部門のトップに立った。「いまはミートすればホームランになる。本当にびっくりしています」と話す絶好調ぶりだ。
この号では、ヒューマンストリーが掲載されていた。
大杉は岡山の関西高に入学。当初はキャッチャーをやっていた。しかし、1年生のとき、ノッカーのバットが後頭部に当たり、そのまま野球部を休部。さらに2年のときには兄と父が相次いで亡くなり、何があったか定かに書いてはいないが、だまされたような形で家も他人に明け渡したらしい。
それでも母親は、道路工事の仕事などもしながら大杉を養い、高校にも通わせ続けた。
大杉は回復した後、2年終わりから軟式野球部に入って、そのあと丸井百貨店で頭角を現し、東映入団を勝ち得た。
大杉は、プロ入りの理由を
「野球をやりたかったことももちろんですが、その前に、母親を楽にしてやりたかったのです」
と語っている。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM