昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 近藤和彦、打率1位
今回は『1967年7月3日号』。定価は60円。
5月の月間打率.235と低迷していた
巨人・
王貞治だが、6月に入り、一気にバットが加速している。17日の大洋戦では2本塁打を放ち、打率も.321まで上がった。
この日、巨人は
菅原勝矢が3年目の完封勝ちで5勝目、この時点で防御率1.56は1位になった。
菅原は勝利の瞬間からマウンドでずっと泣いていた。
なお好調を維持した五番打者・
高倉照幸も6月19日に規定打席に到達し、.333でリーグ2位となっている。
首位打者争いのトップは大洋の近藤和彦。6月17日現在.354。いわゆる天秤棒打法の個性派選手である。
近藤は、
「今年が10年目、一つの区切りとして首位打者を取りたい。3割5分以上になると、シゲさんかな。だから2、3分で混戦になったほうがいい。そうなれば勝算われにありだ」
パでは阪急・
スペンサーの荒っぽいプレーが物議をかもしていた。
本人はローリング・スライディングというが、併殺の危機で、体を横にし回りながら二塁を守る野手にぶつかる、あるいは相手にスパイクの歯を向けて突っ込み、ケガ人が続出していた。
スペンサーは「メジャーでは併殺崩しは当たり前。しなければ罰金だ」と言っていたが、190センチ近い巨漢のスペンサーが、170センチそこそこの日本人選手に体当たりしていくのは危険そのもの。まさに殺人スライディングだ。
しかも、スペンサーは明らかに日本球界をなめていた。
8日には、前日の失策と記録されたプレーについて、試合前に記録員に抗議。通らないとなると、その記録用紙をずたずたに切り裂いた。
これは果たしてメジャーでは当たり前なのか。
兼任監督の近鉄のサード・
小玉明利も5月20日、スペンサーのスライディングで負傷し、離脱を余儀なくされたが、その小玉監督は14日の試合で、一塁に走り込んだ際、一塁を守っていたスペンサーに顔面を殴るようにタッチされ激怒。ヘルメットを投げつけ、両軍入り乱れての騒ぎに。小玉監督は退場となった。
東京の
小山正明は「あれがアメリカ流というなら、こちらもビーン・ボールで対抗する」ときっぱり。スペンサーは「すべて受けて立つ!」。もう喧嘩だ。
現代っ子はいつの時代にもいる、という話があった。
この年、鉄の結束を誇る鶴岡南海でもあったらしい。
A、B、Cと覆面3選手になっていたが、
中谷信夫二軍監督が「早く一軍へ上がるように頑張れ」というと、「一軍の選手は飛行機で移動している。墜落すれば一軍で投げられますね」と言い返ったAをはじめ、ユニフォームを自分で洗濯するルールだったのだが、それをせず倉庫にあった引退選手の古いユニフォームを勝手に着たり、完全にプロをなめていた3選手がいたらしく、中谷監督は、この3人に丸刈りを指示した。
ふと思ったが、ずっと表紙の『週刊ベースボール』のタイトル文字が赤か、赤い帯に文字が白抜きだ。
それ以外となると、1966年5月9日の青までさかのぼり、その以前もやっぱりほぼ赤だ。
やっぱり目立つからだろう。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM