昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 クレス、広島で教会に
今回は『1967年7月10日号』。定価は60円。
不振の時期あったが、6月に入ってスパート。52試合で23本塁打と好調の巨人・
王貞治。
5試合連続本塁打の日本タイ記録がかかった(当時)6月16日の大洋戦(後楽園)は不発に終わったが、試合後、「ホームラン記録より、狙うは三冠王だ」と王は“三冠王”をきっぱり名言した。本塁打、打点の2つはもともと実績もあり、自信たっぷり、打率はこの時点で.324はベスト10の3位だった。
王の好調は五番に入った
高倉照幸の好調で、勝負を避けられるケースが減ったこともあったようだ。最終的にも敬遠は前年より11減っている……とは41が30だ。捕手が立たない“ほぼ敬遠”もあっただろう。すさまじい数字である。
その5試合連続本塁打を62年大毎でマークしていた巨人の
柳田利夫が6月24日、南海に移籍した。高倉らの加入で出番が減り、移籍志願をしていた。
阪急が独走態勢を固めていたパ・リーグでは東京の
戸倉勝城監督が休養。
6月19日、「こんなみじめな気持ちで野球を見せられたのは初めて」と永田雅一オーナーが戸倉監督以下、首脳陣を大映本社に呼び出し、そのあとの2時から記者会見を開いて、戸倉監督の休養を発表した。
「長い間、オリオンズの実態を研究し、ディスカッションしたが、現在の沈滞ムードを打ち破るために、当分の間、戸倉君に休養してもらうことにした。代理監督は濃人君にやってもらう。
これからは罰金制度をとる。私は選手たちが持てる能力を百パーセント出し切るということで契約している。それは七十パーセントしか出さずにいるのは契約違反だ。凡プレーやボーンヘッドにはどしどし罰金をとっていく。それがプロ野球だ」
かなりカッカしていた。
さぼり癖から不良外国人と言われ、近鉄を解雇になったクレス。近鉄の芥田社長は「ここまでの給料を出す」と言ったが、「そんな半端な金はいらない。俺の打力ならほしくてうずうずしているところがたくさんあるはずだ」と断った。
しかし、その後、どこも手を上げない。
以後の記事は多少、分からない部分もあるが、概略を説明する。
もともと敬虔なカソリックのクレスは、なぜか
広島に行って、郊外の教会で修業をしたらしい。毎朝7時に起き、畑作業でトマトやナスビを育てていたという。
その後、カープに売り込むが断られ、
阪神のバッキーに頼み、6月16日、阪神のテストを受け、合格した。
「僕、死に物狂いで一生懸命やります。代打でもなんでもいいです」
とクレス。阪神での登録名はクレスニックになった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM