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週べ60周年記念

近鉄・土井正博がファン投票1位/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

スカウトは根本陸夫



 今回は『1967年8月7日号』。定価は60円。

 阪急が2位東映に8ゲーム差の首位で前半戦を終えた。それまで野球の試合ではガラガラ、競輪では満員とあって、「競輪本業、野球副業」とも揶揄(やゆ)された西宮球場も土日の試合では満員近い観客でわく。
 優勝の声も高まるが、阪急・西本幸雄監督は、
「それはまだわからんよ。優勝という言葉はタブーですな」
 と慎重だ。

 近づくオールスターでは、セ、パを合わせ近鉄の土井正博が最高票を集め、話題となっている。
 チームは最下位に低迷も、土井は打率でトップ。小玉明利監督も「あいつをきっと日本一の大打者にしてみせる」と話していた。

 土井は大鉄高時代の2年生だった1961年1月に退学し、17歳で近鉄入りした。スカウトしたのは、すでに退団し、広島のコーチになっていた根本陸夫だ。当時スカウトをしていた根本は、隠れた逸材として注目され始めた土井を中退させて入団させた。
 まず、母親を口説いたというから(おかしな意味ではない)、のちの「球界の寝業師」の最初の仕事と言えるのかもしれない。

 しかし、当時の千葉茂監督は、まったく土井を評価せず、1年目、一軍出場なし。整理選手(戦力外)要員になった。
 本当かどうかしらないが、土井が千葉に嫌われたのは、「食べすぎるから」だったらしい。どんぶり飯16杯を食べたこともあったという。
 動きも機敏とは言えず、千葉好みでなかったのだろう。
 
 しかし、成績不振で千葉が退団したことで。道が開ける。新監督の別当薫が、
「近鉄は弱いチームだと聞いていたが、このような素晴らしい若い力をつかわないようでは強くなれるはずはない。まあ、見ていてください」と語り、“18歳の四番”として宣伝した。
 土井の潜在能力に惚れたのもあるだろうし、自分の“色”を出そうとしたのもあったと思う。

 四番で起用された62年は結果が出ず、途中から六番に落とされたが、翌年からはしっかり結果を出し、64年にはリーグ最多安打もマークしている。
 
 土井の父親は、土井が1歳のときに戦死し、母親が本屋を経営しながら育てた。
 考えてみると、大下弘中西太野村克也張本勲大杉勝男らパ・リーグの強打者には母子家庭で育ち、母親思いの選手が多い。
 飽食の時代の今とは違う。みんな生きていくのに必死だった。
 
 大洋のプレーボーイ、スチュアートは、自身の浮気が原因で離婚調停中ながら13歳のデビーちゃんが、夏季休暇で来日していた。
 ホテル住まいのスチュアートは、昼はプールで娘とともに過ごすなど、よきパパぶりを見せているが、夜の赤坂、六本木のガールハントの熱心さは変わらず。広島に愛人ができたらしいという話もあった。

 そうだ。あばかれた云々の表紙文字は大げさです。


 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM

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