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週べ60周年記念

阪神の放棄試合はなぜ起こったか?/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

“前夜祭”となった円城寺事件


表紙は巨人川上哲治監督


 今回は『1967年10月9日号』。定価は60円。
 
 ジャッジをめぐる事件記事を2つ紹介しよう。事実関係を書いただけでも、少し長くなるが、ご勘弁を。

 1967年9月23日、甲子園の阪神─大洋戦は、すでに優勝とも関係なく、スタンドには3000人前後がパラパラといたに過ぎなかった。
 そんな中で大洋は初回に3点を先取。なおも二死満塁と好機が続いた。
 打者は投手の森中千香良。2ストライクの後、阪神・バッキーが投じたボール球を空振り。しかし、ショートバウンドした球を捕手の和田徹が捕れなかった。

 ベンチに戻りかけた森中だったが、一塁コーチの指示であわてて一塁へ。だが、和田はマウンドにボールを転がし、阪神ナインもベンチに引き揚げた。
 森中は無人の一塁へ行き、走者はそれぞれ進塁。三走はホームにかえった。

 当然、追加点となったが、ここから阪神が猛抗議する。和田は「審判が、三振アウトと言ったので、引き揚げたんだ」と主張。球審は「私は3ストライクとは言ったが、アウトとは言っていない」と突っぱねた。
 これに対し、藤本定義監督は「うちの選手でわしに嘘をつくやつはおらん。こんな審判相手に野球ができるか」と怒り、ついにはナインをロッカーに引き揚げさせた。

 審判は「やらねば放棄試合になります」と言ったが、エキサイトした藤本監督は「偉そうに言うな。こんなことにしたのはお前らじゃないか」と言い返した。記事にはなかったが、この間、審判の誰かを押したか、小突いたようだ。

 それでも阪神の岩間常務が「ゲームだけはやってくれ」と説得。たぶん、払い戻しの損害を考えたのだろう。

 藤本監督は「わかったが、わしはやれん。後藤(次男コーチ)、お前がやれ」と言って監督室に引っ込んだ。 

 ここで解決となるはずだったが、審判がスタンドに「プレーをかけます。しかし藤本監督は暴行のかどで退場にします」とアナウンスしたことに、阪神の後藤、山田伝コーチがカチンときた。

「うちの監督は退場やない。自分で引き下がったんや。退場なら暴行を働いたときにやれ」と抗議し、再び態度を硬化させた。

 審判は開き直ったのか、阪神ナインのいないグラウンドでプレーをかけ、時計で1分が過ぎたのを見極めるとゲームセットの宣言をした。
 阪神の放棄試合となったわけだ。

 藤本監督は、放棄試合と聞いてあっけにとられた表情を浮かべ語った。
「放棄試合はうちの責任じゃない。入場料の払い戻しは審判がやれ。それにわしは退場にはなっとらん。職場放棄した処分なら潔く受けるが、連盟から退場の罰金が来ても絶対に払わん」
 
 実は、20日、中日球場でも判定をめぐるトラブルであわや放棄試合になりかけた。

 中日─巨人戦の7回表、巨人の攻撃だった。投手の金田正一が一塁走者で打者・柴田勲が二塁打性の当たり。俊足を飛ばし、一塁を大きく回ったが、金田が「左足首の捻挫再発を恐れたため」二塁に止まってしまった。

 あわてて柴田が一塁に戻り、クロスプレーながら一塁手・江藤慎一のタッチより先に柴田の足がベースに届いたように見えた。

 しかし、ここで円城寺塁審がアウトのジャッジ。すぐ激高した柴田が円城寺塁審を突く。その後、巨人のコーチも円城寺塁審を囲むようにし、抗議。1分もしないうちに判定がアウトからセーフになった。

 今度は納得できない中日が猛抗議。客席が殺気立ち、乱入しようとする者が相次ぎ、そのたび警官隊に阻止された。その後、中日ベンチの要求で円城寺塁審がマイクを持ち、
「私のミスでした。フォースプレー(タッチなしでもアウト)と勘違いしていました」と説明。

 中日側は「それ以前にアピールで判定を変えることは野球規則にない」と抗議。円城寺塁審が「そのことは私が責任をもって」というと、コーチから「責任をとるというのはルールブックを書き換えるということなのか」と迫られると、「私が辞めて責任を取ります」。

 これに中日・西沢道夫監督が「何、辞める? それ本当だな。絶対辞めろよ。その言葉を忘れるな」と言葉を荒げる。
 さらに中日の球団社長が西沢監督からベンチで説明を受けている際、スタンドから「円城寺やめちまえ」と騒ぐファンがいたが、社長はそのファンに向かって大声で「おい、騒ぐな。円城寺はもうクビなんだから」と声をかけると、この騒動を見ていた金田が「なんてことを言うのや。バカヤロー。それが球団幹部の言うことか」と怒鳴った。
 これに対し、社長の脇にいた重役が、
「バカヤローとはなんだ。金田君。その言葉を取り消したまえ」とやり返す。
 もうメチャクチャだが、雰囲気は分かる。
 反論はあるかもしれないが、金田の抗議は正しい。


 中日の選手は、ジャッジが変わらなければ、試合放棄を主張。しばらくベンチから出てこず、その間にファンがフェンスを壊し始め、すでに出動していた200人の警官隊がそれを止めた。
 
 最終的には1時間以上の中断の後、9時46分に試合再開となった。
 ご存じと思うが、円城寺審判は、1961年の日本シリーズでジャッジをめぐり、南海の選手に袋叩きにあった。
 優柔不断だったのか、優しすぎたのか。昭和の「審判はつらいよ」だ。

 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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