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週べ60周年記念

阪急32年目の初優勝/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

柴田勲のスキャンダル?


表紙は阪急・西本幸雄監督


 今回は『1967年10月16日号』。定価は60円。
 
 1967年10月11日、午前7時にはすでに数十人のファンが切符売り場に並んでいた。午前10時には内野席が札止め、11時には外野も満員になった。
 定員1万2000人の西京極。警備に万全を期すという条件で1万5000人まで入れたが、それでも入りきれない観客が多数いた。
「これが西宮ならなあ」
 球団関係者が思わず、愚痴る盛況ぶりだった。

 9月30日、10月1日と対東映3連戦。阪急ブレーブスは30日には9回二死から3点差を逆転し、勝利を飾った。
 1日はダブルヘッダー。マジック2の阪急は、連勝すれば文句なし優勝となる。
この時点で2位は東映だったが、マジックの対象は残り試合が多い3位の西鉄だった。西鉄はこの日、大阪球場で南海と同じくダブルヘッダーだった。 
 
 第1戦、阪急打線が爆発し、10対6の勝利。西鉄もまた、2対1で勝利し、マジックは1となった。
 15時スタートの第2戦、阪急は左腕エース・梶本隆夫を先発に立て必勝を期したが、打ち込まれ、東映にリードを許し、敗色濃厚となる。
 だが、7回裏、一塁側、阪急ファンから歓声が起こる。ラジオで、4対5とリードされていた西鉄の9回表の攻撃が、一死となったことが伝えられたからだ。

 そして、西鉄敗戦。阪急の球団創設32年目での優勝が決まった。まだ、阪急の攻撃中だったが、大歓声とともに、紙テープがグラウンドに投げ込まれた。

 最後の打者は阪急・住友平だった。まだ8回だったが、秋の日は釣瓶落とし。すでに薄暗くなり、審判は試合続行が不可能と判断し、8対11で阪急は日没コールド負けとなったが、もはや関係ない。
 すぐ阪急・西本幸雄監督が胴上げ。その後、観客が一斉にグラウンドに飛び降り、あちこちで選手は胴上げされていた。

 西本監督が殺到するファンをかき分け、バックネットの金網に近づくと、向こう側に涙目の小林米三オーナーがいた。
 握手しようにも金網の隙間が小さく手が入らなかったが、西本はそこでオーナーと手を合わせ、その後、無言のまま深く頭を下げた。自らの信任投票の後、小林オーナーが必死に引き留めてくれたことを思い出していたのかもしれない。

 その後の優勝会見。小林オーナーは喜びと西本監督への感謝の後、こんな爆弾発言もした。
「何度もチームを手放してやろうと思いましたが、西宮球場もあるし、二束三文で売っても、と我慢したのがよかったですね」
 ここでは淡々としていた西本監督も祝勝会で選手を前にした、あいさつは違った。
 感極まった声で、
「みなよくやってくれた。この日をどれだけ待ったことだろう!」
 というと、ビールかけでは選手と一緒にはしゃいだ。

 女性週刊誌に巨人のモテ男、柴田勲の婚約話が載った。女性と会っている写真や、その女性の証言まで載っているが、柴田は、
「写真はまったく関係のない人。やることなすことデタラメだよ」
 と言いながらも怒るのではなく、
「ここまでウソを並べたら逆に傑作だよ」
 と大笑いしていた。
 さすが夜の銀座の盗塁王だ。

 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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