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“がばい旋風”第2章を夢見る唐津工・副島浩史監督/令和元年の夏、初陣の新指揮官

 

現在、『夏 甲子園2019全国49地区総展望』が発売中だ。同誌の中で令和元年の夏、初陣を飾る指揮官を取り上げているが、週刊ベースボールONLINEでも公開しよう。

後輩の躍動を見て野球への思いが再燃


唐津工高は1996年夏に甲子園出場の経験がある。23年ぶりの復活へ、新指揮官の手応え十分だ


 2007年夏、佐賀北高は全国4081校の頂点に立った。公立校が全国制覇を遂げたのは、同校が最後である。広陵高(広島)との頂上決戦。「がばい旋風」のフィナーレを飾ったのは、左越えの逆転満塁本塁打を放った副島浩史である。

「かなり集中していました。三振したらどうしよう……ではなく、打ってやる! という気持ちしかありませんでした。感触? まだこの手に残っています。テレビで甲子園を見るたび、12年前の光景を思い出します」

 高校卒業後、副島は福岡大でプレーし、大学4年間を終えてユニフォームを脱いだ。地元の佐賀銀行に就職。野球とは一線を引いたが、入社1年目の夏、母校・佐賀北高が甲子園に出場。1年前、教育実習で関わった生徒が躍動している姿をアルプス席から見て、野球への思いが再燃。もともと、指導者の興味はあった。甲子園は人生におけるこの上ない財産だ。しかし、自身の思い出だけに留めておくのはどうか? と考えた。自らの経験を指導現場に落とし込むことが、応援してくれた故郷・佐賀に恩義を報いることだと思い立った。

 14年7月に佐賀銀行を退職し、保健体育科の教諭を目指す1日7時間以上に及ぶ猛勉強。15年からは中原特別支援学校の臨時講師として、教育現場に立った。障害を持つ子どもたちとグラブのはめ方など、純粋に白球と触れ合う中で、教えることの原点を学んだ。教員採用試験は倍率10倍以上の狭き門。4度目にして難関を突破し、保健体育科教諭の道が開けたのだ。

「番狂わせ」が公立校の醍醐味


2007年夏の甲子園決勝、3点を追う8回一死満塁で広陵高の野村祐輔(現広島)から逆転決勝満塁弾を放った


 18年4月に唐津工に赴任し、野球部の副部長に就任。同11月に監督となった。佐賀北高で背番号1を着けた久保貴大は佐賀北高の副部長を経て17年秋、百崎敏克監督(現副部長)を継いで、母校を率いる。また、記録員だった真崎貴史も杵島商高の監督として指揮。07年夏のVメンバー3人が地元・佐賀で采配している。

「楽しく生徒たちと一緒に、野球をやっています。甲子園は自分の人生観を変えてくれた、何度でも行きたい場所です。今の3年生には力があり、かみ合ったら面白いチームです。決して、夢の世界ではありません」

 昨年11月、監督就任時に部員の前で、目標として「甲子園で校歌を歌う」とアナウンスした。07年の佐賀北高は2回目の夏出場で甲子園初勝利を挙げ、一気に頂点へ駆け上がった。唐津工高も1996年夏に一度、甲子園に出場も、初戦敗退。当時の佐賀北高と同じ状況にあるのだ。

「百崎先生が高校在学当時言っていましたが『私学を倒すのが、公立校の醍醐味』だと。僕たちが『番狂わせ』をしたように、勝ったチームが強いんです。それが、高校野球の原点で、全国の人たちも、魅力を感じる部分だと思います。もう1回、あの舞台で旋風を巻き起こしたいと思います」

 平成元年生まれの新指揮官は令和元年に、夏の初采配が控えている。

「面白いですね。不思議な縁を感じます。(がばい旋風の)第2章をやってやろう、と思っています。あの夏があったからこそ、今の僕を支えてくれている。厳しい状況、つらいことがあっても『逆転できる』と信じてきましたから」

 副島監督は使命感を持って地元・佐賀の野球普及と発展に力を注いでいく。

PROFILE
そえじま・ひろし●1989年5月31日生まれ。佐賀県出身。北川副小4年時から野球を始め、ロッテ高濱卓也(のち横浜高)とプレー。城南中では全国大会3位の実績がある。佐賀北高では1年秋から三塁のレギュラーで3年夏の甲子園で全国制覇。福岡大を経て佐賀銀行に入行するも、保健体育科教諭を目指すため2014年7月に退職。4度目の採用試験を突破し、18年に唐津工高に赴任。野球部副部長を経て、同11月から監督。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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