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週べ60周年記念

交流戦がつぶされた?/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

サンケイに別所監督誕生


表紙は巨人・森昌彦


 今回は『1967年11月20日号』。定価は60円。
 
 前回触れた年間36試合のセ・パ交流戦案。東京・永田雅一オーナーの提案に巨人・正力亨オーナーらが賛同したことで、実現の可能性が見えたかに思えたが、一気にひっくり返った。

 まず、提案があった10月21日のオーナー会議時点で、永田の根回しもあってパの全球団は賛成、セは巨人、中日が賛成となっていた。
 永田はここで一気に採決と考えたらしいが、大洋の強硬な反対と、代理で出ていた広島の山本代表が「うちは松田オーナーにはからないうちは決められない」という意見もあり、結論は先送りとなった。

 ターニングポイントは10月30日、セの鈴木龍二会長と、大正力、つまりは正力オーナーの父、正力松太郎の会談だった。
 会談を終えた鈴木会長の顔は青ざめていたという。

 こういわれたのではない、と報道された。
「君がついていながらなんということをしているのだ。君は僕の理想が分かっているのだろう。これは2リーグ制の否定ではないか」

 以後、セは一気にトーンダウン。もう交流戦が採用されることはないだろう、とあった。
 説明するまでもなく、プロ野球、そして2リーグも大正力が中心となって生み出したものだ。
 パが中心となって数年前から水面下で動いていた1リーグ制への移行も苦々しい思いで見ていたらしい。
 今回の交流戦案は、永田とともに息子・正力亨も積極的だったといわれる。
 他のセ球団は「ドル箱」巨人戦が減る危惧をしたが、巨人にすれば、より巨人人気が全国区になり、読売新聞の拡販にもつながると思っていたようだ。

 ここでオヤジの一喝となったわけだ。
 蛇足になるが、かつて小社顧問・田村大五(故人)は、正力松太郎に「2リーグ分裂…」と言ったとき、「分裂ではない。分立と言いたまえ!」と怒鳴られたとよく言っていた。


 サンケイは元南海─巨人の別所毅彦が新監督となった。
 インタビューもあったが、その一部を抜粋。
「私は信念だけは狂わせたくない。たとえば、私が選手におせじやおべっかを使ったら、かえって選手は不気味がるんじゃないか(笑)。私は個性が強い人間だし、選手も覚悟していると思うんだ。私の信念が間違っているか合っているか分からないが、とにかくやってみようじゃないか。やってみてダメなら、そこで考えたらいいじゃないか。この方針でいけば絶対間違いないという信念を持っている。それをどうだ、という形で示しながら選手に接したいと思う。本人に納得させるということ。まずここから入っていかなければいけないんですね。その気持ちさえできれば、基礎というものは1、2年で固まります」
 さすがべーやん。とにかく、張り切っているようだ。

 一方、前大洋監督、三原脩の監督就任が濃厚となっている近鉄・小玉明利兼任監督は、球団に「自由契約かトレードに出してくれ」と申し出た。
 まだ32歳。
「僕の何が悪かったのか教えてほしい」
 と球団社長に言っていたという。

 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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