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プロ野球1980年代の名勝負

優勝への号砲、阪神バックスクリーン3連発!(1985年4月17日、阪神×巨人)/プロ野球1980年代の名勝負

 

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

不振脱出、平常心、そして狙い澄まして3連弾


バックスクリーンへ3者連続、3発目のアーチを運んだ岡田


 猛虎フィーバーに沸いた1985年の阪神。リードオフマンの真弓明信は安芸の春季キャンプから「わしら勝てる(優勝できる)んやないか?」と語っていたが、ファンが初めて21年ぶりのリーグ優勝、2リーグ制となって初の日本一を予感したのは、この試合だっただろう。いわゆる“伝統の一戦”、巨人とのシーズン初対決となった甲子園球場での3連戦の2試合目、4月17日。バース、掛布雅之岡田彰布のクリーンアップが3者連続で甲子園球場のバックスクリーン方向へ本塁打を叩き込んだゲームだ。

 阪神は13日の広島との開幕戦(広島市民)こそ落としたものの、そこから2連勝。迎えた17日は1回表、巨人が一番から松本匡史篠塚利夫の連打、松本は盗塁刺も、三番のクロマティが右翼席へ2ランを放り込んで2点を先制する。その裏に阪神も二死から三番のバース、四番の掛布が連続四球、岡田の適時打で1点を返すも、その後は槙原寛己の好投に抑えられてゼロ行進を続ける。阪神も先発の工藤一彦が好投を続けたが、巨人は7回表に原辰徳の三塁打を皮切りに1点を追加。その裏、ドラマが起こった。

 先頭打者の木戸克彦が中前打で出塁すると、代走の北村照文が盗塁。代打の長崎啓二は倒れたが、打順は一番に戻って真弓が四球、二番の弘田澄男は左飛で二死一、二塁に。だが、続くバースは開幕から不振に苦しんでいた。最終的には三冠王に輝くものの、それまで15打数2安打6三振で、本塁打はゼロ。そんなバースに槙原が投じた初球だった。「ストレートを待ってハードに叩くことだけを考えていた」バースは、甘く入ったシュート気味のストレートをとらえ、バックスクリーンへ逆転の3ラン。

 バースのバットを目覚めさせた一発は、続く2人のバットにも火をつける。「あの打席は、まったく平常心で入ったと思いますね」と振り返る掛布は、1ボール1ストライクから真ん中高目へのストレートを一閃。掛布の2号ソロはバックスクリーン左のスタンドで弾み、バックスクリーン方向へと跳ね返っていった。

 続く岡田は「もうインコースのストレートは放ってこんやろ」と外角スライダーに狙いを絞ると、2球目を「あまりにもジャストポイント過ぎて手ごたえもなかったですよ」というフルスイング。岡田の1号ソロは、前の2球を追いかけるようにバックスクリーン方向へと飛んでいった。

9回表には巨人も2連発


 まるで阪神の優勝が決まったかのような(?)一戦だが、実は9回表に巨人の逆襲があった。先頭のクロマティが右翼席へ、続く四番の原も中堅方向へ2者連続ソロで1点差に詰め寄る。そして、五番の中畑清が放った打球は左翼へ。これがスタンドに入ったら「巨人が全方向への3連発で同点に追いつく」という、これ以上ないドラマチックな試合となったのだが……。

 8回から登板していた福間納に代わって、中畑を抑えたのは中西清起だ。その後、吉村禎章駒田徳広を連続三振に斬って取る完璧なリリーフで、プロ初セーブをマーク。クリーンアップが日本一への号砲を放った試合は、優勝に貢献する新クローザーが誕生した試合でもあった。

1985年4月17日
阪神−巨人2回戦(甲子園)

巨人 200 000 102 5
阪神 100 000 50X 6

[勝]工藤(1勝0敗0S)
[敗]槙原(0勝1敗0S)
[S]中西(0勝0敗1S)
[本塁打]
(巨人)クロマティ1号、2号、原2号
(阪神)バース1号、掛布2号、岡田1号

写真=BBM
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