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プロ野球1980年代の名勝負

プロ野球の最も非情なドラマ(1988年10月19日、ロッテ×近鉄ダブルヘッダー第2試合)/プロ野球1980年代の名勝負

 

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

一時は近鉄の優勝ムードも……


ダブルヘッダー第2試合に引き分けで、優勝を逃した近鉄


 川崎球場で、優勝が懸かったロッテとのシーズン最終戦ダブルヘッダーを戦う近鉄。第1試合に辛勝して希望をつないだものの、わずか25分の休憩で第2試合を迎える。当初はNHKラジオが中継するのみだったダブルヘッダーだったが、こま切れながらも、その様子をテレビも実況し始めた。「閑古鳥の巣」の熱狂は、じわじわと列島へ伝わり始める。

 第2試合を先制したのもロッテだった。1回裏を1死球のみで切り抜けた新人の高柳出己だったが、2回裏に先頭のマドロックが17号ソロ。それでも、その後は踏ん張り、打線の反撃を待った。だが、疲労困憊の近鉄打線は3回表、4回表と先頭打者が出塁するも、後が続かない。5回表は三者凡退に終わった。

 そして6回表、一死から一番の大石第二朗が左前打で出塁すると、二番の新井宏昌が送り、三番のブライアントが四球を選ぶと、四番のオグリビーが適時打を放って同点に。これでボルテージも急上昇した近鉄は、7回表に一死から吹石徳一が2号ソロ、二死から真喜志康永が3号ソロ。本塁打の少ない2人のアーチに、ベンチはお祭りムードに沸いた。

 その裏には早くも岡部明一の17号ソロなどで同点に追いつかれるも、近鉄の勢いは止まらなかった。8回表にはブライアントが34号ソロ。早々にリードを奪い返すと、その裏、エースの阿波野秀幸を投入する。だが、完投から中1日、第1試合でも1イニングを投げている阿波野は、精も根も尽き果てていた。一死から四番の高沢秀昭が左翼席へ14号ソロ。土壇場で、再び試合は振り出しに戻った。

 規定では、ダブルヘッダーの第2試合は4時間を超えると新しいイニングに入ることができない。この第2試合の開始時刻は18時44分。このとき、時計の針は21時49分を指していた。すでに3時間を経過している。このダブルヘッダーの、そして連勝しなければ優勝に届かない近鉄の“最大の敵”が、その姿を不気味に現し始めていた。

立ちはだかった“時間の壁”


 それでも、9回表二死から大石が左翼線二塁打。希望の灯は消えていなかった。だが、続く新井の三塁への猛烈な打球は水上善雄の好プレーに阻まれる。すでに時計の針は10時を回っていた。テレビも実況中継。テレビ朝日系『ニュースステーション』はCMなしで、この模様を流し続ける。

 9回裏無死一、二塁。阿波野が二塁へ牽制、走者の古川慎一がアウトになるも、このプレーをめぐって、ロッテの有藤道世監督が抗議を始める。抗議は9分間。わずかな時間だが、この9分で近鉄の攻撃は10回表を残すのみとなってしまう。その10回表、近鉄は無得点。その裏、近鉄ナインは優勝の希望がない守備に散った。22時56分、4対4のまま、試合終了。西武球場では静かに森祇晶監督の胴上げが始まった。

 この“10.19”は、悲劇的であり、一夜の悪夢のようでもあった。近鉄ナインも号泣した。その涙は日本中を感動に包んだ。悲劇や悪夢と一言に付すことは、どうしてもできない。

1988年10月19日
ロッテ−近鉄26回戦(川崎)
(ダブルヘッダー第2試合)
近鉄  000 001 210 0 4
ロッテ 010 000 210 0 4
(延長10回、時間切れ引き分け)

[本塁打]
(近鉄)吹石2号、真喜志3号、ブライアント34号
(ロッテ)マドロック17号、岡部11号、高沢14号

写真=BBM

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